今川軍は"低体温症"に陥っていた? 桶狭間の戦いで織田信長が今川義元に勝利できた3つの理由

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さて信長が善照寺砦に進出したことを聞いた織田方の佐々隼人正と千秋四郎は300ばかりの軍勢で義元軍に戦いを挑みますが、反撃に遭い佐々・千秋はじめ50騎が討死します。

この戦果はまたしても義元を喜ばせ、彼は「義元の矛先は天魔鬼神も防ぐことはできない。心地良い」と言い、また謡いを謡うのでした。余裕綽々といった感があります。

佐々・千秋らの軍勢が敗退したのを見た信長は、織田方が築いていた中嶋砦に移動しようとします。ところがこの信長の行動に反対したのが、家老衆でした。

彼らは「中嶋までの通路は深田があり、馬一騎しか通れない狭い道。我が軍勢が小勢であることが敵方に分かってしまいます」と言い、信長が乗る馬のくつわに取り付いて、主君を引き留めようとします。しかし信長はそれを振り切り、中嶋に向かうのです。この時、信長が率いる軍勢は2000ほど。

中嶋に移った信長はそこから更に先に進もうとします。家老衆は信長にすがり付いて信長を止めようとしました。このまま今川の大軍に突っ込んでも、2000の軍勢では敗れるのは明らか。織田の家老衆の提言は常識的なものと言えるでしょう。

信長も絶対に勝てるという自信はなかった

この時、信長は将兵に次のように語りかけます。

「各々、よく聞かれよ。今川の武者は前日の宵に糧食をとり、夜通し大高城へ兵糧を運び、鷲津・丸根砦攻めに手を焼き、辛労で疲れている。

こちらは新手の兵だ。小勢だからといって大敵を恐れるでない。勝敗の運は天にあるということを知らぬのか。敵が攻撃を仕掛けてきたら退き、敵が退いたら追撃するのだ。何としても敵を追い崩すのだ。

分捕りするな、切り捨てにせよ。戦いに勝ちさえすればこの場にいた者は家の面目、末代までの高名である。ただ励むべし」と。

信長は自軍の将兵をこう鼓舞したのです。今川方は疲れ切っているが、我が軍(信長軍)はそうではないということですが、「勝敗の運は天にある」と信長は言っていますので、信長も絶対に勝てるという自信はなかったということでしょう。

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