今川軍は"低体温症"に陥っていた? 桶狭間の戦いで織田信長が今川義元に勝利できた3つの理由

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その時、にわか雨が石・氷を投げ打つように、今川方に降り注ぎます。この猛烈な雨風は、大きなクスをも吹き倒すものだったと言います。思いがけない出来事に人々は「この戦は熱田大明神の神軍(かみいくさ)であるか」と言い合ったとのこと。しばらくすると雨は止みます。

その時、信長は槍をとり大音声で「すわ、かかれ、かかれ」と将兵に命じます。黒煙立てて迫り来る織田軍を見て、今川軍は「水をまくるがごとく」後ろに退いたのです。

今川軍は混乱状態になり、義元が乗る輿は打ち捨てられます。今川軍の300騎ばかりが義元を囲み、主君を守りつつ、後退していましたが、信長軍はそこに2度・3度・4度・5度と集中的に攻撃を仕掛けました。すると次第に軍兵は減っていき、300騎いたものが約50騎になっていたのです。

信長も馬を降り自ら刀を振るい、敵を斬り伏せていきます。信長軍の正面からの果敢な攻撃により、ついに義元は討ち取られるのです。

今川義元の軍は実際にはもっと少なかった?

『信長公記』は義元軍を4万5000としていますが、実際にはもっと少なかったとの説(約1万ほどか)があります。

義元の本陣を守備していたのは約5000ほどとも言われていますので、そうなると信長軍と大差はありません。

また『信長公記』には今川軍が荒天の被害を被ったと書かれています。激しい雨により、今川軍兵はびしょ濡れになり、低体温症になったのではとも推測されます(雨にはひょうも含まれていたとの説もあります)。

そうなると当然、思うように体を動かすことはできません。運動能力が低下したところに、砦にいて大雨の被害を受けなかった織田軍が来襲してきたらひとたまりもありません。雨により鉄砲も使用不可能となります。

また『信長公記』には義元の気の緩みと、信長の決死の覚悟が対照的に描かれています。信長軍が今川方に勝利できた理由は、義元本軍がそれほどの大軍ではなかったこと、今川軍が風雨の影響を受け運動能力が低下したこと、義元の油断の3点が挙げられるのではないでしょうか。

(主要参考文献一覧)
・池上裕子『織田信長』(吉川弘文館、2012年)
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(新人物文庫、2014年)
・服部英雄「桶狭間合戦考」(『名古屋城調査研究センター研究紀要』2、2021年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数
X: https://twitter.com/hamadakoichiro

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