スギちゃんみたいにワイルドでなくていい… 一発屋芸人・山田ルイ53世が行き着いた、自分の心の中の「とろ火」をキープする生き方

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山田ルイ53世
「ルネッサーンス!」でブレークする前に舞い込んだ大きな仕事を、悩んだ末に断ったという山田ルイ53世さん。その結果として至った“ある心境”とは?(写真:©サンミュージックプロダクション)
頼まれた仕事を、断れない人は多いだろう。でも、素直に「できない」と伝えても、実は案外困らないかもしれない――。お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さんは、「ルネッサーンス!」でブレークする前に舞い込んだ大きな仕事を、悩んだ末に断った。その結果、ある心境に至ったという。『僕たちにはキラキラ生きる義務などない』(山田ルイ53世著、大和書房)から一部を抜粋・再構成のうえ、山田ルイ53世さん流の処世術を紹介する。

事務所が苦手になった若手時代のエピソード

20年以上前、まだ飯も食えぬ下積み時代。あるテレビ局で、芸能人が東大を受験するという企画が持ち上がった。

売れっ子・無名問わず集められた100人を、まずは10名程度まで絞り込むべく、模試が催される。筆者はもちろん、無名の部類。ただの人数合わせで駆り出されただけ、とアルバイト感覚で参加したのだが、まさかの1位通過(だったと、後で聞かされた)で、あれよあれよという間に、最終面接の撮影の日を迎えた。 

最終面接といっても、意思確認をする形式だけのもの。どこの馬の骨ともしれぬ若手芸人に「頑張ります!」以外の選択肢はないし、先方もそう信じて疑っていなかっただろう。

ところが筆者は逡巡していた。ちょうどその頃、試行錯誤の末に編み出した「貴族の乾杯漫才」で、深夜のバラエティー番組のネタ見せコーナーからちょこちょこお呼びがかかるようになっていたからだ。 

だからと言って、ブレークできる保証も何一つなかったが、このタイミングで密着系の企画に関われば、ネタを作る暇がなくなるだろうことは、かつて『電波少年』(日本テレビ系)を経験した身としては、想像にかたくなかった。

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