「燕尾服を着た日本人は猿によく似ている」 朝ドラ『ばけばけ』ヘブン先生にはとても見せられない?鹿鳴館外交の醜態

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イギリスの態度が強硬だったのは、駐日公使パークスの影響が大きかった。パークスは新政府の欧化政策を歓迎したが、戊辰戦争の際には中立の立場をとって日本を非文明国とみなしており、その認識を改めさせなければ、対等の関係に持ち込むのは難しいということが、交渉の中で見えてきた。そこで、井上と彼を取り立てた初代内閣総理大臣の伊藤博文はこう考えた。

「欧米人を招いても恥ずかしくない建物で、外国からの客人をもてなせば、日本も欧米に認めてもらえるのではないか」

そこで明治16(1883)年に建てられたのが、鹿鳴館である。鹿鳴館は、現在の日比谷公園に隣接するルネサンス様式の建物で、完成までに2年以上も要した。総工費は14万円あまりにのぼったという。

今の紙幣価値に置き換えれば、実に5億6000万円以上の税金がつぎ込まれたことになる。3室開け放つと100坪にもなる舞踏室には、バーやビリヤードといった設備まで作られた。

鹿鳴館は近代日本のシンボルとして打ち出され、この鹿鳴館を中心にした外交政策は「鹿鳴館外交」と呼ばれた。毎夜のように鹿鳴館で開かれる舞踏会に出かけることが、一種のステイタスとなったのである。

欧米人の真似をしてゲストから失笑される

鹿鳴館の舞踏会では、招いた欧米人たちに、近代化した日本人の姿を見せようと、男性の多くは燕尾服をまとい、頭にはシルクハットをかぶっていた。なかには、燕尾服を買うために10年の月賦を組んだ者もいたというから、随分と背伸びしたものである。

役人たちは慣れない洋装を身にまとい、食べたこともないようなフランス料理に戸惑いながら、舌鼓を打った。だが、欧米人になりきっていると誤解しているのは、当事者たちだけ。外国人の目から見ると、それはかなり滑稽なものだったようだ。

目撃者の一人が、フランスの海軍士官で作家のピエール・ロチである。「江戸の舞踏会」で次のように書いている。

「燕尾服というものは、すでにわれわれにとってもあんなに醜悪であるのに、何と彼らは奇妙な恰好にそれを着ていることだろう! もちろん、彼らはこの種のものに適した背中を持ってはいないのである。どうしてそうなのかはいえないけれど、わたしには彼らがみな、いつも、何だか猿によく似ているように思える」

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