寝台列車「ななつ星」を"世界一"にした魔法の言葉 人々の心に火をつけた社長の熱意とこだわり
その頃は、新幹線網がかなり整備されてきて、寝台列車に揺られながら、ゆっくりと目的地に行くことより、新幹線を選ぶお客さまが増えていました。
寝台列車の存在価値が薄れてきて、JR各社は、寝台列車ブルートレインを縮小、廃止する方向にあったわけです。
そんな中で、アイデアマンは「豪華な寝台列車をつくったら当たりますよ」と教えてくれたわけです。私は当時、まだ副課長ですし、「そんなのできません」と答えました。
当時はまだ、国鉄からJRになったばかりです。
あの国鉄という、どうしようもない組織でみんな育っていますから、頭が石よりも固いような人ばかりでした。ましてや力のない副課長が、そのような大それたことを提案しても、通るわけがありません。
それでも、豪華寝台列車の話は、私の頭の中に強くインプットされました。
「それは面白そうだな」と思いまして、「いつか実行できる時が来たらやりたいな」と、ずっと頭の中にしまっていました。
それから20数年後の2009年に、私はJR九州の社長になりました。
その時に「やろう」ということで始めたわけです。社長になったのが2009年6月23日で、その1週間後に本社の幹部を集めました。
2009年とは、どういう時期かと言いますと、JR九州が発足して20数年が経ち、九州新幹線の博多から鹿児島までの全線開業を2年後に控えていました。九州新幹線が全線開業する2年前に、私は社長になったわけです。
そのときに「みんなやろうや」と言ったんです。
約300億円の赤字を抱えていたJR九州
JR九州は1987年に発足しましたが、大変な逆境の中でスタートしました。
当時は、基本的に鉄道業しかやっていない会社で、1000億円強の売上高に対して、鉄道事業としての赤字が約300億円でした。
そういうスタートだったので、鉄道事業はずっと、何とか赤字を減らそうとやってきました。
だから、鉄道事業は夢がない事業で、唯一の夢が九州新幹線でした。
その夢が、私が社長になった2年後にやっと実現するという状況で、この「ななつ星」の話をみんなにしたわけです。
「みんなよく聞いてくれ」と。
その時はまだ、「ななつ星」という名前は決まっていませんでした。
私はこのように言いました。


















無料会員登録はこちら
ログインはこちら