愛子さま訪問で注目されたラオス、正月は中国人ツアー客だらけのリアル。仏教行事も観光化、「映え」目当ての参拝客増加に感じた時代の変化
午前6時、オレンジ色の袈裟をまとった僧侶の列が左手からやってきた。
隣のおばあちゃんに身振り手振りで「こうやるのよ」と教えられた通り、容器からもち米を取り出して僧侶が持っている入れ物に移す。僧侶は列をなして通るので、ベルトコンベアのような流れ作業感半端ない。
しかも筆者たちの前に中国人団体客が喜捨をするため、僧侶が持っている容器はすでに満杯だ。
僧侶たちはおばあちゃんの前に置かれたバケツに気づくと、持っている入れ物を逆さにしてもち米とお菓子を注ぎ込む(お札は入れない)。夫は目が点になっていた。
「僧侶が捨てた後に、またもち米入れて、俺たちいったい何やってるの」
「でもどこかでこうしないと、あふれちゃうじゃん」
「ご飯を捨てた人にはもうあげたくない」
「あれは捨てているわけじゃないと思うよ」
夫がもち米を喜捨するペースがはっきりと落ちた。
15分ほどかけて2つの隊列が通り過ぎると、ガイドが中国人団体客に撤収を呼び掛けた。僧侶に近づきすぎないように設置された規制ロープも外され、観光客は一斉に帰り始める。
地元のおばあちゃんはその場に座ったままなので、翻訳アプリで「終わりましたか」と聞いたら、英語で「5分」と言われた。5分待ったらまた次の隊列が来るようだ。
托鉢の観光化を目の当たりにして
空が白んできた。おばあちゃんの家族らしい年配の男性がやってきて、僧侶が投げ入れたもち米とお菓子の袋を回収して行った。おばあちゃんは袋を指さし、筆者に向かってぐるんぐるんと大きな円を描いた。
このもち米やお菓子をどこかに寄付する、という意味だろうか。夫も理解したようだった。
5分経つと20~30人の僧侶がやってきた。残っているのは地元の人だけだ。さっきまでは餅つきのようにせわしなかったが、僧侶が歩くペースが緩み、おばあちゃんは一人ひとりに祈りを捧げていた。
おばあちゃんとの心の距離も縮まった気がしたので、最後に一緒に写真を撮ろうとお願いすると、日本語で「ありがとう」と言われた。あら、どこに言ってもニイハオ、シェイシェイだったのに。
以前、ハノイのジューススタンドの売り子から「あなた日本人でしょう。日本語は理解できないけど、話し方が丸くて柔らかいので分かるのよ」と言われたことがある。おばあちゃんも声量やトーンから私たちが日本人だと感じ取ったんだろうか。



















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