「歩道橋から飛び降りて、顔がぐちゃぐちゃになっても愛してくれた」 《25歳差、唯一愛した人》との別れが、"楽しかった"と言えるワケ

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ボビーさんは自らの死後、卯月さんが病気を抱えながら、1人で暮らすことを心配していた。そのため、「いい男を捕まえてほしい」「今からでも誰か見つけてほしい」と口にしていたそうだが、卯月さんは「勘弁」とバッサリ。

結婚も恋愛も、ボビーさん以外には考えられない。ボビーさんが自分にとって最後の男性なのだと、固く決めているそうだ。

そんななか、25年12月1日2時59分、自宅にて、ボビーさんは心不全で逝った。

同日2時10分ころに卯月さんが目を覚まし、ボビーさんが倒れているのを発見した。「父ちゃん、戻ってこい!」と叫びながら心臓マッサージをし、救急隊が駆け付けて病院に着いたが、回復が見込めなかったため延命を止めてもらった。

医者から、苦しまずに逝ったと聞かされ、「よかった……」と涙があふれた。

卯月妙子さん
朗らかな表情を浮かべる卯月さん(写真:卯月妙子さん提供)

葬儀までは「楽しかった」

その後は葬儀屋とのやり取り、火葬場の手配、関係者への連絡など、やることがたくさんあり、悲しむ暇もなかったという。また、ボビーさんを偲んで友人たちが続々と集まり、思い出話に花を咲かせるなど、にぎやかな時間が続いた。

悲しみはもちろん深かったが、「楽しかった」と卯月さんは振り返る。

「お父さんは自分が死んだあと、私が落ち込むのを非常に心配していたので、そうならないでよかったです。真冬の函館で、(自宅で安置していた遺体が)腐ってしまうからストーブは点けられないのに、みんな厚着をして盛り上がってくれました」

12月4日に行われた火葬でも、棺が火葬炉に運ばれていくとき以外は、卯月さんは涙を見せなかった。喪主として、火葬が終わるまではしっかりしなくてはいけない、という責任や使命感がそうさせていたという。

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