その状況を、最も極端なかたちで体現している一人が、主人公ジョーなのです。ジョーは、実は監督自身とは異なる価値観を持つ人物でもあります。「自分こそが真実を見ている」という感覚を抱き、制度や権威への不信を強め、極右的な言説とも重なる立場に置かれています。
それでも監督は、その思想を否定するのではなく、「ただ、理解しようとしたいのだ」と語っていました。それは、ジョーが特異な存在だからではありません。彼の考え方は、もはやアメリカ社会の周縁にあるものではなく、「半分」を占めているとも言える状況です。だからこそ、「主役に据える意味があるのだ」と監督は説明しています。
ただ近づいてみる
分断を描く多くの作品が、どちらかの側を批評や風刺の対象にしがちな中で、本作は距離を保ち続けます。断罪でも擁護でもなく、ただ近づいてみる。その姿勢自体が、いまの社会では難しくなっている行為なのかもしれません。分断を嘆くだけではなく、なぜそこに至ったのかを直視する試み自体が、いまの時代には珍しいとも言えます。
アリ・アスター映画が不穏で、居心地が悪いのは、フィクションだからではありません。私たちがすでに、その世界の只中にいるからです。恐ろしく、滑稽で、どこにも着地しない現実。その感覚を、映画というジャンルを通して突きつけること。監督の新作は、娯楽であると同時に、現代社会への冷静な観察の記録でもあります。
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