M-1で「説明のいらない一言」が笑いになる時代 「恐ろしくて、ばかばかしい」分断を描く《ミッドサマー》監督新作の凄さ

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その町で物語の中心にいるのが、保安官ジョーです。アリ・アスター映画で再主演となるホアキン・フェニックスが演じています。ただし、映画はジョー個人の内面を掘り下げる形ではなく、あくまで「現実が共有されない社会」に生きる1人として、その姿を置いています。

ホアキン・フェニックス
主人公の保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)は「自分こそが真実を見ている」という感覚を抱え、共有されない現実の中で孤立していく存在(写真:©2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.)

ジョーの周囲には、彼とは異なる形で世界を受け止めている人物たちもいます。エマ・ストーン演じる妻ルイーズは、彼とは別の情報に引き寄せられていきます。いわゆる陰謀論に傾いていく側の存在です。

エマ・ストーン
エマ・ストーン演じる妻ルイーズは、陰謀論にハマる役。分断された世界のもう1つの側面を体現する(写真:©2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.)

一方、ペドロ・パスカルが演じる野心的な市長テッドは、感染症対策をめぐるマスク着用の是非を巡って、のっけからジョーと正面から対立する相手として描かれます。

プロパガンダへの強い警戒感

本作が描いているのは、現実世界と同じように、前提そのものが失われた状況です。誰が正しいか以前に、どの現実を信じているのかが一致しない。それは、「分断」という言葉よりも、「到達不能」に近い状態だと監督は捉えています。

映画はこの断絶を、陰謀論や過激な思想の問題として単純化せず、淡々と描いています。監督がそこから導き出すのが、プロパガンダへの強い警戒感です。「目的は、嘘を信じさせることではない。何も信じられなくさせることだ」と。

あらゆる情報への信頼が崩れれば、誰も責任を問われなくなる。人々は疑心暗鬼のまま孤立し、権力を持つ側だけが説明責任から解放されていく。監督が見据えているのは、まさにその光景です。

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