その町で物語の中心にいるのが、保安官ジョーです。アリ・アスター映画で再主演となるホアキン・フェニックスが演じています。ただし、映画はジョー個人の内面を掘り下げる形ではなく、あくまで「現実が共有されない社会」に生きる1人として、その姿を置いています。
ジョーの周囲には、彼とは異なる形で世界を受け止めている人物たちもいます。エマ・ストーン演じる妻ルイーズは、彼とは別の情報に引き寄せられていきます。いわゆる陰謀論に傾いていく側の存在です。
一方、ペドロ・パスカルが演じる野心的な市長テッドは、感染症対策をめぐるマスク着用の是非を巡って、のっけからジョーと正面から対立する相手として描かれます。
プロパガンダへの強い警戒感
本作が描いているのは、現実世界と同じように、前提そのものが失われた状況です。誰が正しいか以前に、どの現実を信じているのかが一致しない。それは、「分断」という言葉よりも、「到達不能」に近い状態だと監督は捉えています。
映画はこの断絶を、陰謀論や過激な思想の問題として単純化せず、淡々と描いています。監督がそこから導き出すのが、プロパガンダへの強い警戒感です。「目的は、嘘を信じさせることではない。何も信じられなくさせることだ」と。
あらゆる情報への信頼が崩れれば、誰も責任を問われなくなる。人々は疑心暗鬼のまま孤立し、権力を持つ側だけが説明責任から解放されていく。監督が見据えているのは、まさにその光景です。

















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