現在、吉田さん夫妻は南阿蘇と熊本市内で、それぞれ週の半分ずつ過ごしている。移動は夫が運転する車だ。高齢の父の運転を心配する娘が、「南阿蘇と熊本市内の往復限定」で許可してくれたとか。
こうして始まったばかりの終の住処の2拠点生活だが、吉田さん夫妻はその先についても考える。つい最近、夫の兄が亡くなり、自分たちの死もそんなに遠くはないことが実感としてわかった。
「娘に介護させない暮らし」を選択したい
吉田さんと親しい元「シニアライフ情報センター」代表の池田敏史子さんの話が身に染みるという。
「高齢期の住まい方には、3つの選択肢があるとおっしゃっていました。1つめは、自宅に住み続けて、自宅で死ぬこと。2つめは、できるだけ長く自宅に住んで、いよいよとなったら施設に入る。3つめが、体が元気で、新しいコミュニティを楽しめる時期に、ずっと住み続けられる施設などに住み替える。65歳頃の早めの時期が理想ですね。わが家は2つめだねって、主人と話をしたばかりです」
やがて運転免許を返上するときもくるだろう。お互いの健康状態によって2拠点生活は解消することになるかもしれない。
吉田さんにとって楽なのは、やはり都市部にある熊本市内のマンションだが、施設に入るなら、娘が会いに来やすい南阿蘇だろうなあとつぶやく。
関東から移住したきっかけは、ひとり娘に遠距離介護をさせないためだった。だがそれは、娘のそばに住んで世話になる、ということではない。「娘に介護してもらうことはまったく考えていません」と吉田さんはきっぱり。
「仕事柄、介護がどれくらい大変なのか間近で見ているので、それだけは娘にさせたくないです。ただそばに住んで、たまに会えたらそれでいい。飛行機の距離で離れていたら、それも叶いませんから。終の住処の最終決定は、私たち夫婦ですること。まだちょっとそこは神様の言うとおりにって感じで、幅を持たせています(笑)」
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