「地方に嫁いだ娘に"遠距離介護"はさせたくない…」 《70代で2拠点生活》→《82歳で地方移住》 一級建築士が選択した"ベストな住処"

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実は吉田さんは、75歳から約7年間、神奈川県の横浜市と熊本県の南阿蘇村との2拠点生活をしていた。

南阿蘇には、先に移住した夫と、結婚を機に就農したひとり娘とその家族が暮らしている。25年8月に遅れて吉田さんが移住した形だ。

吉田紗栄子さん
横浜のマンションは和室を洋室にリフォームし、収納を兼ねた畳敷きの小上がりを置いた(写真:吉田紗栄子さん提供)

横浜の前は、東京都内で暮らしていた。

「娘の婿殿のお父さんの実家が南阿蘇の代々続く農家で、娘たちはその跡を継ぐため、22年前に就農したんです。農業はその土地から離れられませんから、もう東京に帰ってくることはない。娘に遠距離介護の苦労をかけないように、私たちの終の住処は南阿蘇にしようと決めました」

そのとき吉田さん60歳。南阿蘇へ移住するまでの22年間は、長い老後に向かっていく年月でもあった。

誰しも老いとともにライフステージが変化し、必要な住まいも生き方も変わっていく。吉田さんも終の住処に移住するまでの逡巡と熟考を繰り返したという。

東京住まいの吉田さん夫妻は当初、「65歳を目安に南阿蘇に移ろう」と人生プランを立てた。だが、「南阿蘇に移住する」と口では言い続けながら、夫も吉田さんも現役で仕事を続けており、あっという間に60代が過ぎた。

70代で「南阿蘇との2拠点生活」に

70歳のとき、娘一家の自宅から1㎞のところに建つ空き家に出会い、ようやく一歩前進。120坪の敷地に建つ築45年・46坪の母屋と、築100年以上と思しき納屋がセットで当時450万円だった。

「家から見える景色が本当にすばらしくて一目惚れして、即座に購入を決めました」

南阿蘇
南阿蘇の家から見える景色がお気に入りだという(写真:吉田紗栄子さん提供)

それから吉田さん主導でリフォームを行い、定期的に南阿蘇を訪れるようになったが、東京暮らしをやめる踏ん切りがつかない。遠方との行き来は大変ではあるものの、70代前半は60代の延長でまだまだ元気だった。

しかし後期高齢者の75歳になったとき、「これ以上、先送りしたら引っ越しの体力がなくなる」という危機感が夫妻の背中をポンと押した。

東京のマンションを売却し、夫が先に南阿蘇へ移住。しかし吉田さんはその後に続くことはなく、なんと横浜に築50年のヴィンテージマンションを購入して、横浜・南阿蘇の2拠点生活を選択する。

本業に加えて、バリアフリー建築を広げるために立ち上げた組織やNPOの活動などがあり、関東圏を離れられなかったのだ。

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