なぜ「アルピーヌ」ブランドは愛されるのか?「A110」に宿る最終限定車3モデルで再確認したブランドの作り方

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もともとアルピーヌは、フランス北部の港町ディエップでルノーのディーラーを営んでいたジャン・レデレが、当時のルノーの大衆車「4CV」をベースに作り上げたスペシャルが起源だった。

彼はそのスペシャルで、ミッレミリアなどのモータースポーツイベントに参戦。好成績を収めたことから、スポーツカーメーカーとなることを決意。1955年にアルピーヌというブランドを掲げ、初の市販モデル「A106」を送り出したのだった。

一番右の白い車が「A106」、60周年記念イベントにて(筆者撮影)

アルピーヌの名を一気に高めたのは、1962年デビューのクラシックA110だ。

小柄で流麗なFRPボディのリアに、最大で1.8リッターの直列4気筒エンジンを積んでラリーで活躍。1973年から始まったWRC(世界ラリー選手権)で初代チャンピオンに輝いた。

さらにA110が登場した翌年には、ミッドシップエンジンのプロトタイプスポーツもサーキットにデビュー。こちらは1978年、V型6気筒ターボエンジンを積んだ「A442B」がルマン24時間レースを制した。

ラリーシーンで活躍した「A110」(写真:Alpine)

しかし、同じ時期、ルノーは「ルノースポール」という自前の組織を立ち上げ、F1やWRCに参戦を始めていた。しだいに両者を統合していく動きが進み、「A610ターボ」が1995年に生産を終えると、ルノースポールの市販車が跡を継ぐことになった。

そして「新生A110」の誕生

復活の動きが始まったのは2012年。A110の生誕50周年を記念した「A110-50」が公開されると、翌年からル・マン24時間のLMP2クラスにレーシングマシンが参戦する。「M63」以来50年目のカムバックだった。

一方の市販車は、当初イギリスのケータハムとの共同開発が発表されたが、まもなくキャンセル。しかし、復活の灯は消えることなく、自社開発で続行することになり、2015年のル・マン24時間レースでコンセプトカーを公開した。

「A110」のプロトタイプ。後方には歴代アルピーヌが見える(筆者撮影)

筆者は同じ年の秋、聖地ディエップでアルピーヌ60周年を祝うイベントを取材する機会に恵まれた。海沿いの広場には700台以上のアルピーヌが集結。コンセプトカーのデモランも行われ、ブランド復活を祝う場になった。

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