東京・谷中銀座《夕焼けだんだん》の隣にマンション建設で「景観が変わる」との声も…ノスタルジーに酔う日本人が考えるべき"本質的な問題"
しかし、現実の都市はノスタルジーではない。マンションが建つのを感覚的に批判する(そして、それをマスコミがPV稼ぎに利用する)のではなく、現実的にマンションを建てることの是非を検討すべきだと思う。
マンション建設の「本質的な問題」を考えたい
今回のマンション建設で考えるべき本質的な問題は多い。
谷根千エリア(谷中・根津・千駄木)の住民が危惧するように、マンション建設による日照の問題や、外国人による投機目的でのマンション購入といった負の側面もある。
また、都市論では「街の活気はごちゃごちゃした低層の建物で生まれる」と主張している人もいる。商店街が顕著なように、谷中は基本的に街全体が「低層の建物」で構成されているから、そこに高いマンションが建つと谷中の街そのものが質的に変わる……というおそれもある。
一方、谷根千エリアは人気であり、住宅需要も高い。そこに新しく住む人が増えれば街の活気がさらに生まれるかもしれない。その意味ではマンション建設の利点もあるはずだ。
いずれにしても、このような建設的な観点からこのマンション建設について考えたい。
繰り返すが、「ノスタルジーに基づく感覚的な反対論」はやめるべきだ。今の論調を見ていると、SNSやマスコミの中で、特に谷根千に直接は関係のない人がいっちょかみしているような印象を覚える。一律的な「タワマン反対」論だけが流布していて、それに対して「ほんとかな?」と思う自分がいる。
何より怖いのは、そうやって本質的な検討がなされないままマンションが建ち、そこで起こったいろいろな問題を忘れていくことだ。というか、たぶん、そうなる。
おそらくこうやって騒いでいるのは今だけで、タワマンができたら結局、多くの人はマンションのある夕やけだんだんの景観に慣れていく。そして、また別の「下町再開発」の話題に首をつっこむだけである。
日本の都市は、そのように良い意味でも悪い意味でも「忘却」の歴史の上に成り立ってきた。「夕やけだんだん騒動」を俯瞰的に見るなら、日本の都市はそのような歴史を繰り返してきたことを、私たちに突きつけている。
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