東京・谷中銀座《夕焼けだんだん》の隣にマンション建設で「景観が変わる」との声も…ノスタルジーに酔う日本人が考えるべき"本質的な問題"
以上をふまえると、夕やけだんだんの一件から考えるべきは「日本でも景観に対する規制をより強めるべき」ということかもしれない。
ただ、その手前で私が思うことがある。
そもそも、夕やけだんだんの景色は守るに値するほど「美しい」ものなのだろうか。
そこからの景色は、さまざまな商店の看板が突き出ているし、だらしなくたるむ電線に、電柱も見えている。視線の先には大小様々なマンションが見えていて、本来の意味で「いい景色」なのか、疑わしい。伝統的な都市景観の観点から考えるなら、正直、これは「美」ではない。どちらかといえば「猥雑」すぎる風景だ。
先ほども述べたように、日本の都市景観は、その土地所有のシステム上、いろいろなものが渾然一体とする猥雑なものである。そう考えると、低層のごちゃついた商店街に謎の高層マンションが建つのは、ある意味、日本の街並みの「典型例」だとさえ言える。
『三丁目の夕日』にみる谷中銀座の「ノスタルジー」
こんなことを言うと、「いやいや、この景色がどうのこうの、じゃなくて、そこが昔からある伝統的な景色だからいいんだよ。それをマンションが壊すなんて、もってのほかだ」という人がいるだろう。
そういう人には、こう言いたい。そもそも、谷中銀座が誕生したのは1945年。戦後の闇市からスタートしている。都市の景観としては新しく、欧米の「歴史ある街並み」とは、比ぶべくもない。しかも「夕やけだんだん」という名称は、エッセイストの森まゆみ氏が1990年に命名したものである。わずか30年ほどの歴史しかない。
大きなスケールで見れば、谷中銀座自体、新しいのである。「昔ながらの風景」だからこそいい、というのは通用しない。
谷中銀座がこのように「昔ながらの風景」として賞賛されるのは、「夕やけ」「商店街」といった対象に我々がノスタルジーを覚えるからだろう。いわば『三丁目の夕日』症候群だ。
『三丁目の夕日』は昭和30年代の商店街の街並みを描いたマンガ・映画であり、「昭和ノスタルジーブーム」に火を付けた。その映画のポスターはオレンジ色で、「夕日」がこれでもかと強調されている。
谷中は、こうした我々の「ノスタルジー」感情を喚起させるのである。



















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