患者の家族が急死、初めての出産、排泄で失敗…こんなときの「いいケア」とは? 医師や看護師と本気の対話を重ねてたどり着いた"本質"
Dさん「いいケアには、個別性というか、〝その人〟を大事にしている感じがありますね」
Bさん「それで言うと、さっき出たコミュニケーションという言葉より、かかわり、という言葉のほうがしっくりきますがどうでしょう? コミュニケーションというと、ちょっと積極的すぎる響きがあるというか」
全員「なるほど」
ファシリテーター「そうやって、自覚的にせよ無自覚的にせよ、相手の願いを想像しながらかかわるためには、やっぱり対話が欠かせないですね」
Cさん「対等性もキーワードになる気がします。子どものアレルギーを診てもらっていたお医者さんは、その上から目線のかかわりがケアを感じさせなかったんだと思います」
Aさん「さっきの自己満足についてなんですが、ケアする側の自己満足って、必ずしも悪いものじゃない気もするんです。いやいややっているケアを、いいケアって言うんでしょうか」
Bさん「確かに、事後的にというか、結果的に自分が満足することも、いいケアにとって大事な条件かもしれませんね」
ファシリテーター「それは自己満足というより、貢献感、と言ったほうがしっくり来ませんか? ケアする人が、相手の願いをしっかり想像しながらかかわった上で、さらに結果的に貢献感を感じることができた時、私たちはそれをより〝いいケア〟と呼べるんじゃないかという気がします」
全員「確かに」
(4)本質を言葉にする
以上のように、さまざまなキーワードが見えてきたら、それらのキーワードを組み合わせたり、さらに深めたりして、「これを欠いては〝いいケア〞とは言えない」という不可欠の条件を見つけていきます。
今回の対話の時には、最終的に次のような言葉が編み上げられることになりました。
いいケアとは、〝その人〟の自覚的・無自覚的な願いを想像したかかわりである。
このように、とりあえず一旦簡潔に言葉にしたものを、ここでは「本質定義」と呼びたいと思います。


















