患者の家族が急死、初めての出産、排泄で失敗…こんなときの「いいケア」とは? 医師や看護師と本気の対話を重ねてたどり着いた"本質"
確かに、自分が「いいケア」だと思ってやったことが、他の人からは「いいケア」とは思われないという場合があります。でもそれは、そのケアが、じつは「いいケア」の共通了解可能な本質を欠いていたということなのです。これこそが「いいケア」なんだと、ただ独りよがりに主張しているだけでは、それはいいケアの本質とは言えません。
逆に言えば、「そこにどんな本質が備わっていれば、自分も人も、それをいいケアと確信できたんだろう?」……そう問い合うことで、私たちは「いいケア」の深い本質を見出していくことができるのです。
(3)キーワードを見つける
さて、以上のように、さまざまな事例を挙げていくと、どの例にも共通するキーワードがいくつか浮かび上がってくるはずです。そこで次のステップでは、そのキーワードを見つけていく対話を重ねます。
今回の事例からは、たとえば次のようなキーワードが見つかりました。
Aさん「コミュニケーション、というのは、どんなケアにも必ずありますよね。言葉がけだけじゃなく、ただ背中をさするだけでも」
Bさん「注射チクっとしますよ、と言われた時、いつものルーティンで言ってるのか、私個人に向けて言われているかで、いいケアかどうか変わってくる気がします。ああ、これは自分に向けて言ってくれてるんだなと分かると、それはいいケアだと感じます」
ファシリテーター「なるほど。そのためには、自分が何を願っているかを大事にしてもらえることが大事ですよね。さっき自己満足の話がありましたが、こちらの願いをちゃんと気にかけてもらえない時に、相手の自己満足を感じるのかもしれませんね」
Cさん「確かに、ただ背中をさするだけのケアがいいケアになりやすいのは、言葉をかけた瞬間に、そこに独善性がにじみやすいからかもしれませんね。言葉が伴うと、求めているのはそれじゃないって、相手に思わせてしまいやすいのかも」
Aさん「排泄に失敗した患者さんに、ほとんど何も言わずに、ただ不快感だけ取り除いてパパッと去っていくのがいいケアであるというのも、そういう理由からでしょうね」
Dさん「患者さんが何を望んでいるかを、ちゃんと想像しようとしているということですね」
Aさん「それで言うと、自分でも意識できていなかった願いってありますよね。忙しくてコーヒーを飲むことさえ忘れていた時に、後輩がコーヒーを淹れてくれたのは、そんな私の無自覚の願いを想像してくれたんだろうなと思います」
ファシリテーター「Aさんのお父さんのお葬式の時に、看護師さんが無言で背中をさすってくれたことで初めて、ああ、自分はいま泣きたかったんだなって気づいた、というのも、それに当てはまりますね」


















