小学校から関西学院育ちの"人見知りガール"が「まさかのミスコン出場!」友人票も少ないなか、準グランプリに輝いた《逆転劇》の舞台裏

✎ 1〜 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 5 ✎ 6
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
松本美紅さん
取材に協力してくれた松本美紅さん。柔らかい笑顔が印象的だった(筆者撮影)
かつて“大学の顔”として注目を集めていたミスコンが、近年「冬の時代」を迎えている。
長時間のライブ配信やSNS運用など、出場者には高い自己プロデュース力が求められ、スポンサー離れから運営する学生団体も疲弊している。ただ、その一方で、真剣に向き合い、努力してきた出場者がいるのも事実だ。
本連載では、そんなミスコンに出場した女性たちが、数年後の社会人として今どう生きているのかを取材。ミスコンに出た経験は、その後のキャリアや人間関係にどんな影響を与えたのか。その肩書とどう付き合ってきたか──「ミスコン以後」の現実を見つめていく。

大学ミスコンは時代に合わせて形態や趣旨を変えながら、今日まで生き残り続けている。

そんななかでも、大学ミスコンが「ふつうの大学生が有名になるための登竜門」としての役割を果たしていることは、今も昔も変わらない事実だ。

しかしながら、大学ミスコンに出場した人全員が、その知名度を生かした選択をするわけではない。大多数は一般企業に就職して、表舞台からは姿を消す。

では、そんな彼女たちは社会に出てから、どのような人生を歩んでいるのだろうか。もっと言えば、果たしてミスコンの経験は就活や仕事に生きているのだろうか?

今回は、2020年のミスキャンパス関西学院(通称:ミス関学)で準グランプリを獲得し、現在は大手メーカーに勤務している松本美紅さんに話を聞いた。

前回の連載記事を読むミス立命館"優勝"も芸能界オファーを「全部断った」 "涙が出るほどつらかったレッスン"乗り越え「ミスコンとミスオブミス2冠」に輝いた彼女の半生

14年間同じ学び舎で過ごし、交友関係は広がらず

兵庫県出身の松本さんは、小学校から大学まで関西学院で過ごした生粋の“関学生”。小学校受験のきっかけは「親の意向」だったそうだが、松本さんは見事に難関を突破し、関西学院初等部に入学。そして、中学、高校、大学も同じ学び舎で過ごした。

「小学3年生からの編入だったので計14年、関西学院に通ったんですが、小学生で知り合って大学卒業までずっと一緒に過ごしてきた友達もいたりして、関西学院での生活はすごく充実していました」

一方で、長く附属校に通うことは、交友関係の固定化を助長する側面もある。一般的に、中学や高校で外部からの入学者が来たとしても、附属校上がりの人間はどうしても同じ境遇の人間と過ごす時間が多くなるからだ。

次ページ「人見知り」にコンプレックスを抱えていた
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事