「田舎」はなぜ「いなか」と読む? "文字を持たなかった"日本人が先進国・中国から取り入れた漢字の歴史
もう少し詳しくお話しすると、4世紀~6世紀になると、百済(くだら)という国を通じて、本格的に漢字文化が入ってきます。このとき、日本人は漢字という「文字」とその「読み方(音)」をセットで受け取りました。
つまり、中国語としての漢字の「音」も一緒に伝わってきたのです。
しかし、ここでひとつ問題が生まれます。中国という外国の文字である漢字には、日本語に対応するものもあれば、日本語にはないものもありました。そのため、日本人の祖先は、「文字としての漢字と、その“音”もそのまま受け入れよう。そして、“日本語と同じ意味を表す漢字には、日本語としての読み”も当てはめよう」と考えたのだと思われます。
つまり、日本人は、新たな文字を創造するのではなく、中国から輸入した漢字という文字を「借りる」ことで、自分たちの言語表現に活用しようとしたのです。
ここで重要なのは、日本人が漢字を「発音の記号」としてではなく、「意味の記号」としてまず受け止めたということです。
私たち日本人にとっての「漢字の常識」
こうして、漢字には「中国の音をもとにした読み方(音読み)」と「日本語の意味を表す読み方(訓読み)」の両方がつくことになったのです。 たとえば、「山」という漢字を見てみましょう。
「山」を「サン」と読むのは、中国語由来の音読みです。富士山(ふじサン)や登山(とザン)などがそうですね。 「やま」と読むのは、日本語由来の訓読みです。「山に登る」の「やま」がそれにあたります。
このように、1つの漢字に2つの読み方がある、というのが、私たち日本人にとっての「漢字の常識」になったのでした。そして基本的には、訓読みを聞けば「ああ、こういう意味ね。漢字はこれだよね」と想像できますが、音読みを聞いても「なにを意味しているのかな? どういう漢字?」となってしまう場合が多いのです。
たとえば、「やま」と聞けば「ああ、山ね」となると思いますが、「サン」と聞いても「なに? どういう意味? 漢字はなに?」となってしまいますよね。このように、訓読みで意味が想像できる、というのが漢字の基本的な原則となります。
たとえば、山 →「やま」、川 →「かわ」、海 →「うみ」というように、漢字が持っていた本来の意味と、日本語の語彙の意味が一致するものには、それに対応する「訓読み」が与えられ、意味もすぐに理解できるというわけです。



















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