「借金7億、あるのは山だけ…」→「そうだ!ここで料理と酒を出したら最高だ」山奥の森を切り開いて"ジブリの世界"を作ったクレイジーな男の開拓記
通常の条件であれば融資など絶対に下りない状況だ。しかし、支店長は「毎朝直談判する風変わりな男」に根負けする形で、どういうわけか融資を決断してくれたというのだ。これは、高度経済成長期のおおらかな時代ならではのエピソードと言えるのかもしれない。
水道屋の夜逃げ、掘っ立て小屋の建築、山菜料理のみたき園をオープン
「200万円も貸してくれました」
ついに準備金を手にした寺谷さんは、その足で水道屋に仕事を依頼しに行く。
水道屋は消防車2台分のポンプを川に設置し、水をホースで森に引き上げる装置だけを施工した。200万を受け取り、水がちゃんと汲み上げられたのを見届けた翌日、その水道屋は姿をくらました。「女と夜逃げしたんですよ(笑)」。
支店長の温情で借りたお金は、水の汲み上げ装置設置だけに消えてしまった。細かくは覚えていないそうだが、この200万でもっといろいろやってもらうはずだった。でも、こんなことで引き下がる寺谷さんではない。
「大工の酒飲み友達にちょっと来てくれって言って、手伝ってもらったんですよ」
なにをしたかというと、森の木を切り、整地し、安普請の材木で“掘っ立て小屋”を1棟建てたのだ。これで食事処は完成。次に考えるのは提供する料理だ。山にはフキノトウやワラビなどの山菜は豊富にある。地元のお母さんたちにお願いして、山菜の天ぷらなどを作ってもらった。
こうやって山菜料理を出す素朴な料理店「みたき園」が、1970年、森のなかにひっそりと誕生した。料理の内容は“うどんに毛が生えたような”簡単なもので、価格は800円ほど。
「あそこのボンボン、また変なこと始めたぞって、みんなが笑ってましたね」。27歳の寺谷さんは、周囲の反応をなにひとつ気にしていなかった。
ところが、もの珍しさやロケーションの良さで、開店の噂を聞きつけた客が押し寄せた。オープンからしばらくすると長い行列ができ、ピーク時には1日400人ほどの来客があったという。
寺谷さんの自由な発想はとどまることをしらない。車を運転中に、朽ちて倒壊していた古民家が目に入った。「修理して店にすればいいじゃないか」。すぐさま家主に連絡し、交渉する。
「あの家どうするの? って聞いたら、あんなものいらないよって言うんですよ。タダでくれる? と聞くと、やる、と言ってくれました」



















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