「借金7億、あるのは山だけ…」→「そうだ!ここで料理と酒を出したら最高だ」山奥の森を切り開いて"ジブリの世界"を作ったクレイジーな男の開拓記
原材料のほぼすべてを、芦津集落で従業員や集落の住民が体を動かして調達している。山に山菜を採りに行き、畑で野菜を育てる。素材を年中提供できるように、ワラビなどは塩漬けし、大根は天日干しして保存する。料理に使う三年味噌などの調味料は、雪深くなる冬の休園期間(12月〜3月)に園内で仕込んだものだ。
卓上には野の草花があしらわれている。女将の寺谷節子さんができる限り客のもとに足を運び、おもてなしの気持ちを丁寧に伝える。
BGMは、渓流のせせらぎ、鳥のさえずり、風の音。客は囲炉裏や座敷、木のテーブルでこころ尽くしの手料理に舌鼓を打つ。みたき園を訪れた人を、日常から切り離した「山のなかでの特別な時間」へと誘う。
「日常の生活を忘れられる」「またがんばろうと思える特別な場所」といった声が多く寄せられる。人々を魅了するみたき園は、いつ、どのようにして出来上がったのだろうか。
「金はないが山はある」。家業倒産で鳥取に帰郷
みたき園を創業したのは、寺谷誠一郎さんだ。1943年(昭和18年)、鳥取県智頭町の芦津集落で長男として生まれた。寺谷さんは大学進学をきっかけに上京し、卒業後は服飾系の学校に就職した。



















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