「人気温泉地はなぜ《源泉枯渇》と誤解されたのか…?」→水位は回復していた?30年かけて守られた"名湯の真実"と湯守り人の静かな闘い

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それでも「集中管理」の理想は消えなかった。「湯を守る」という思いは嬉野で共通するものだったからだ。その結果、「制度としての集中管理」は難しくとも、「人の信頼による管理」は続けられてきたのである。

各旅館が源泉データを共有し、異常があればすぐに対応する現在の仕組みは、長年の試行錯誤の延長線上にある。すべての源泉に水位を測るセンサーが設置されたのは、2025年になってからのことだ。

「温泉」は自然の恵みだが「お風呂」は人の恵み

半露天風呂
旅館大村屋の半露天風呂(筆者撮影)

私は、かつて温泉は「ただ湧けば使える」と思っていた節がある。自然に湧いてくる温泉を浴槽に溜めれば、そこに価値を感じたお客さんが泊まりに来てくれるのだと、安易に考えていた。しかし、現実は甘くない。

嬉野温泉の源泉の温度は85~90度程度。地中から湧き出た高温の湯を、適切な温度に冷まし、配湯管を通して各施設へ届ける。 そこにはポンプの維持、配管の修繕、熱の管理、水位の監視といった、数えきれない人の作業がある。 ひとつでも滞れば、湯は止まり、観光も経済も立ち行かなくなるだろう。

温泉が湧き出すことは、たしかに「自然の恵み」と呼んでいいだろう。しかし、そのお湯を「入浴」という人間の暮らしに落とし込めるように整えてくれるのは人間だ。温泉が湧き出すのは自然の恵みだが、温泉が溜まったお風呂に入れるのは人の恵みである。

「温泉は“自然の恵み”と言われますが、”人”が支えている部分はかなり大きいんですよ」

北川健太さんはそう語る。温泉を守る人という意味を持つ「湯守り人」という言葉がある。古くから温泉地では、湯を管理し、見守る人をそう呼んできた。 その響きはどこか牧歌的だが、実際の仕事は、静かで厳しい。

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