「人気温泉地はなぜ《源泉枯渇》と誤解されたのか…?」→水位は回復していた?30年かけて守られた"名湯の真実"と湯守り人の静かな闘い

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今回の「源泉の水位低下」という話題は、「危機を回避した」というよりも「危機を未然に防いだ」という表現がふさわしい。報道が出るより前から、嬉野の源泉所有者会議では本件が取り上げられ、汲み上げ量の調整や設備運用の見直しが協議されていた。

源泉所有者会議は、嬉野の湯を支える見えない中枢である。月に一度、各源泉の水位と揚湯量、漏湯箇所を共有し、異常があればすぐに検知し、対処する。会議で交わされるデータには旅館ごとの温泉使用量が実名で並ぶ。数字だけを見れば競争をあおる情報にもなり得るが、「この場でだけ見る」という信頼の約束のもとで成り立っていた。誰かが使いすぎていれば、誰かが声をかけ、皆で調整する。それが、行政ではなく地域の手で築かれた源泉管理の形だ。この仕組みがあったからこそ、水位の低下にもいち早く気づき、対策を打てたのである。

構想は30年前から…でも“私有財産”であることが壁に

配湯施設
嬉野温泉の配湯施設。自家源泉のない宿はここから配湯される(筆者撮影)

嬉野で源泉の管理体制が機能し始めたのは、ここ数年のことだ。しかし、地域でまとまって管理すべきであるという構想が語られ始めたのは、いまから30年以上も前にさかのぼる。1990年代、観光客の増加と旅館の大型化によって源泉の水位が下がり始めた。「このままでは湯が持たない」という危機感が町に広がり、当時の行政と温泉関係者が「源泉をまとめて管理しよう」と議論を重ねた。

だが、現実は簡単ではなかった。源泉はそれぞれの旅館や事業者が独自に掘り当て、長年維持費や修繕費を負担して守ってきた“私有財産”だ。「自分の手で守ってきた湯を公のものにするのは難しい」という思いがあり、話し合いは何度も停滞した。行政も個人財産を強制的に統合する権限を持たず、「全員の合意」を前提に進めようとした結果、合意形成は進まなかった。

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