特殊清掃を仕事にした元Jリーガー(30)の"覚悟"〈高校で日本一→年代別日本代表→J3〉で経験した光と影と"これから"のこと《前編》

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「Jリーグでプレーして生活はできているけれど、サッカーでお金をもらえているわけではない。その葛藤がずっとありました。自分はこのレベルなんだなと自分自身で限界を作り、向上心がなくなりかけていました」

4年目の契約更新は諦めていた。「でも、横浜が大好きなので、ほかのチームに行く気はなかった。もう引退しよう」と覚悟した。だが、吉野代表からは意外な答えが返ってきた。

「『5年目までまったく試合に出ていなくても、6年目から急に活躍した選手もいる。期待しているから、もう1年やってみろ』と言われて、セカンドキャリアを探しながら、いまサッカー選手としてできることをしようと覚悟をもって"最後の1年"に臨みました」

アルバイトをしながら、尾身さんはひたすら考えた。「僕がもらっている時給1500円は、どこから生まれているのだろう。どうしたらお金を生み出すことができるのだろう」。

そして、「1年後にどんなビジネスをしていこう」と意識するようになった。

パソコンなどのビジネススキルは皆無。一方で、サッカー選手などのアスリートは応援してくれる人たちが周りにいることもあり、一般的な20代よりは人脈が広い。特殊清掃という仕事があるのを知ったのも、尾身さんを応援したいと申し出てくれた遺品整理の会社の社長と出会ったからだ。

「いい日当を用意するから、たまに手伝いに来てよ」と言われ、1〜3カ月に一度と不定期ながらアルバイトに行くようになった。

「アルバイトを続ける中で、自分の中で遺品整理や清掃のノウハウができてきた。あとはどう案件を取ってくるか考えれば、やっていけそうだなと」。特殊清掃のスキルをブルークリーンの研修で身に付け、冒頭の「もう一生やりたくない」初日を迎えることになる。

ほこりをかぶった温度計。35℃を示している(写真:大澤誠撮影)

「遺族はチームメイト」という気持ち

これまでに何件の現場に関わってきたかを尋ねると、「特殊清掃の件数を数えたことはないし、数えたくもない。これは亡くなった人の数なので」と尾身さんは声をくぐもらせた。

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