特殊清掃を仕事にした元Jリーガー(30)の"覚悟"〈高校で日本一→年代別日本代表→J3〉で経験した光と影と"これから"のこと《前編》

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発見までの日数が長くなると遺体の腐敗が進行し、腐敗臭やウジ虫が発生。体液や血液が漏出して、床や壁などを汚損する。特殊清掃とは、そうした現場を特別な薬剤を使って殺菌、消臭し、原状回復をする仕事だ。

依頼は、腐乱の進行が早い夏場に一気に増える。

引っ越しシーズンが終わった後の5~6月は少なく、昨年は7月の終わりから9月ごろまではほぼ休みを取れなかった。今年は猛暑の影響で、「まるっと1カ月、仕事が増える時期が早まった」そうだ。

日本では特殊清掃を行うのに特別な許可は必要なく、民間の資格があるだけだ。尾身さんは、“特殊清掃という武器”を最短で手に入れるため、特殊清掃技術水準が高いアメリカの政府や保険業界が定める基準を踏襲して、日本の環境に最適化した独自の高度清掃技術を持つ、ブルークリーン株式会社のフランチャイズとして、本部のサポートを受けながらノウハウを身に付けた。

「アメリカは銃社会なので、血液で汚れた場所を清掃する技術が進んでいるんです。僕もさらに高い技術を身に付けるため、数年のうちにアメリカで資格を取得したいと考えています」

この向上心は、サッカーをしていた頃から変わっていない。

1つひとつ確認しながら捨てていく(写真:大澤誠撮影)

プロになれると信じていた

尾身さんは1995年に埼玉県で生まれた。幼稚園でボールを蹴り始め、小学校3年生のときに地元の少年団に入る。当時から、同じ左利きの中村俊輔選手に憧れ、横浜F・マリノスが好きだった。

中学生になると「ボールを持ったらパスを出さずにドリブル」という攻撃力を武器に、埼玉でも知られる存在になった。「プロになりたい、なれるんじゃないかなというのが少しずつ見えてきた」。

中学3年生のときに練習参加した横浜F・マリノスユースからオファーを受け、週3回学校を早退し、2時間以上かけて横浜まで通った。帰宅は夜の11時半という生活も苦にならないほどサッカーに没頭していった。

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