特殊清掃を仕事にした元Jリーガー(30)の"覚悟"〈高校で日本一→年代別日本代表→J3〉で経験した光と影と"これから"のこと《前編》
高校に入るとマリノスユースに正式に入団し、横浜で1人暮らしをしてプロを目指した。
高校3年のときにディフェンダーへの転向をきっかけに飛躍。高校生の年代のクラブチーム日本一を決める大会に左サイドバックとして出場し、俊足やキック力を生かして、マリノスユースの全国制覇に貢献した。
マリノスのトップチームの練習にも呼ばれるようになり、U-18サッカー日本代表にも選出された。
プロサッカー選手は手の届くところまで来ていた。しかし進路を決める大事な時期に、練習試合で足首の三角骨を損傷。全治3カ月という不運に見舞われる。プロになりたかった尾身さんはJ2に行くことも考えたが、最終的には専修大学に進学した。
しかし大学では、高校時代の負傷が尾を引いて、ケガに悩まされ続けた。4年間ほとんどAチームの試合に出られず、「正直、プロも諦めていた」。就職活動をして、4年生の10月には内定をもらった。
だが、「このまま就職して、もうサッカーをやることはないんだな」と思うと、無性にサッカーがしたくなった。
その頃、3部リーグのJ3に所属する横浜スポーツ&カルチャークラブ(Y.S.C.C.)でセレクションがあることを知った。ダメ元で受けにいくと、まさかの合格。「代表の吉野(次郎)さんが高校時代の僕のプレーを見ていて、もう一度チャンスをくださったんです」。
尾身さんは内定を辞退。「いつかJ1の舞台へ」という諦めかけていた夢にもう一度挑戦することを決めた。しかし、現実は甘くはなかった。
支給されるのは勝利給の2000円
日本プロサッカーリーグのJリーグは、J1が20クラブ、J2が20クラブ、J3が20クラブの編成となっている。
J2以上は大半のクラブが全選手とプロ契約を結んでいるが、J3はプロリーグでありながら、プロ契約とアマチュア契約の選手が混在している。尾身さんはJ3のY.S.C.C.とアマチュア契約を結んだ。
「クラブからもらえるのは、勝利給(勝利交通費)の2000円だけ。これも試合に出なければ支給されません。当然それだけでは生活ができないので、午前中の練習が終わると、午後からはサッカースクールコーチや介護など、さまざまなアルバイトをして生活費を稼いでいました」
芽が出ないまま3年が過ぎた。



















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