高市・自民党が直面する「6度目の党存亡の危機」 結党70年を迎えた自民党が生き延びる「3つの道」

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2025年10月21日に発足した高市内閣。11月15日には自民党結党70年を迎える(写真:Kiyoshi Ota/Bloomberg)
1955年の結党以来、自民党は幾度の危機を乗り越え、日本政治の主役としての地位を保ってきた。その理由はどこにあったのか。近著『戦後80年の取材証言』を上梓し、長く戦後政治をウォッチしてきた塩田潮氏が、自民党の本質と今後について解説する。

11月15日、自民党は結党70年を迎える。70年前の1955年、政権党だった日本民主党(後に鳩山由紀夫氏らが結成した民主党とは別の党)と野党の自由党(後に柿沢弘治氏や小沢一郎氏が結成した自由党とは別の党)の「保守合同」で誕生した。

総裁は初代の鳩山一郎元首相から現在の高市早苗首相まで計28人(実数。全29代)、そのうち、首相経験は河野洋平元総裁と谷垣禎一元総裁を除いた計26人(実数)である。

過去に6回遭遇した「党存亡の危機」

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振り返ると、自民党は大きくとらえて過去に6回、「党存亡の危機」に遭遇した。

1回目は結党10年の1960年、岸信介首相時代の「空前の反政府デモ」による「安保騒動」だ。政権が大きく揺らぎ、もしかすると野党転落か、といわれた。

2回目は74年、田中角栄首相が「金脈追及」で「自民党史で初のスキャンダル退陣」に追い込まれ、さらに76年発覚のロッキード事件で、これまた「党史上で初の前首相逮捕」となる。以後、自民党は「田中支配」の下で「不信と怨念の派閥抗争」を繰り広げた。

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