1916年、現在の予讃線が川之江駅まで延伸し、ようやく愛媛県内に進出した。以後、文字通り少しずつ少しずつ、小刻みに延伸を繰り返してゆく。松山に達したのはなんと昭和になってから。1927年、伊予北条―松山間が開業する。
これにより、高松と松山が結ばれた。その間には新居浜、西条、今治といった諸都市が並び、新居浜に近い別子銅山の銅鉱石輸送なども担っている。
長い年月をかけて完成
また、この頃にはすでに松山から見て県南部での鉄道建設も進んでいた。現在のJR予土線のルーツは、1914年に開業した宇和島―近永間の開業にある。また、1918年には愛媛鉄道という私鉄によって、長浜(現・伊予長浜)―大洲(現・伊予大洲)間が開業した。
それぞれ以後延伸を繰り返してゆき、予讃線が完成したのは1945年6月のことだ。明治の半ばに伊予鉄道によって芽吹いた愛媛の鉄道は、実に半世紀をかけて形が整ったのである。さらに戦後、内子線や予土線が完成し、現在のネットワークを完成させている。
かくして長い年月をかけて完成した愛媛県の鉄道。その中核は私鉄の雄・伊予鉄道だとするならば、幹を成すのは予讃線である。



















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