実は「2番目に古い私鉄」も、愛媛県ご当地鉄道事情 「マッチ箱のような汽車」時代からの大発展

✎ 1〜 ✎ 84 ✎ 85 ✎ 86 ✎ 87
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

1916年、現在の予讃線が川之江駅まで延伸し、ようやく愛媛県内に進出した。以後、文字通り少しずつ少しずつ、小刻みに延伸を繰り返してゆく。松山に達したのはなんと昭和になってから。1927年、伊予北条―松山間が開業する。

これにより、高松と松山が結ばれた。その間には新居浜、西条、今治といった諸都市が並び、新居浜に近い別子銅山の銅鉱石輸送なども担っている。

2024年9月に高架駅にリニューアルしたJR松山駅。松山の玄関口である(撮影:鼠入昌史)
【写真】もう見られないJR松山駅旧駅舎の三角屋根。駅前には松山市中心部へ向かう伊予鉄市内電車の乗り場がある

長い年月をかけて完成

また、この頃にはすでに松山から見て県南部での鉄道建設も進んでいた。現在のJR予土線のルーツは、1914年に開業した宇和島―近永間の開業にある。また、1918年には愛媛鉄道という私鉄によって、長浜(現・伊予長浜)―大洲(現・伊予大洲)間が開業した。

それぞれ以後延伸を繰り返してゆき、予讃線が完成したのは1945年6月のことだ。明治の半ばに伊予鉄道によって芽吹いた愛媛の鉄道は、実に半世紀をかけて形が整ったのである。さらに戦後、内子線や予土線が完成し、現在のネットワークを完成させている。

かくして長い年月をかけて完成した愛媛県の鉄道。その中核は私鉄の雄・伊予鉄道だとするならば、幹を成すのは予讃線である。

この記事の画像を見る(13枚)
次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事