マッチ箱というだけあって、軌間は762mmの軽便規格。のちには軽便鉄道法の公布もあって国内各地に軌間762mmの鉄道が開業したが、伊予鉄道はその最初の例だった。
前例のないことをやろうとすると待ったがかかるのは今も昔も変わらない。政府当局からはいい顔をされなかったというが、伊予鉄道の小林信近は鉄道局長の井上勝に直訴して許可を取り付けた。
小林は、愛媛県の官有地の払い下げを受けて、そこに生えていたヒノキを大阪方面に売ろうと目論んだ。ところがまだ鉄道のなかった四国では、松山から三津浜までの馬車賃が三津浜から大阪までの航路と変わらない。そこで手ずから鉄道をと考えて、伊予鉄道を創業したのだ。いわば小林は四国の鉄道の祖である。
松山市内を中心に路線網
そんなわけで、1888年10月に産声を上げた四国初の鉄道、伊予鉄道はその後、松山を中心にいくつかの鉄道・軌道が開業するとそれらを買収し、現在も同じ名前で営業を続けている伊予鉄道のネットワークを形作ってゆく。



















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