「カネもかかる、技術もいる。でも…」 "超マニアック"博物館《国立民族学博物館》が、貴重な資料の「露出展示」にこだわる"超シンプルな理由"
「展示資料の確認作業をやったんですよ。乗り物のなかに、ポーチみたいなものがくっついていた。もちろんそれも独立した資料。展示場の解説にはないけど記録によると、外からは見えへんけどポーチの蓋を開けると、現地の人がなかによく入れているものが資料としてもう一つ隠れてるってことがわかりました。それで開けてみた。そしたら空だったんです」
誰かがポーチを開けて中身を持っていってしまったのだろうか。
「でもそれ、リニューアルがなかったら確認しないままでした。ほんまに誰がいつ持っていってしまったんやろ。たぶん何十年も前にもうなくなってたんちゃうかな」
なぜ剥き出しで展示するのか
民博独特の露出展示は、梅棹忠夫初代館長の強いこだわりによって実現した。民博の名誉教授で現在は千里文化財団の専務理事を務める久保正敏先生は、品のいい関西弁で語る。
「梅棹さんは、はっきり言うてバブルな人なんや」
先生は梅棹忠夫という人の並外れたスケールの大きさを「変わり者の理想主義」と表現した。さすが、変わり者たちの秘密基地である民博をつくってしまった人である。
「文科系の大学は校費の割り当てが少ないんです。文系の人はね、紙と鉛筆さえあったらええやろというわけです。だから梅棹さんは、民博を理系の大学と同じ扱いにしたんです」
この発想には先見性があった。民族学が単なる文献研究ではなく、フィールドワークや資料収集を伴い、多額の費用を要する総合的な学問であることを理解していたからだ。
そういう人だから、もちろん世界中から収集してきた資料を展示する本館展示のありかたについても、従来の博物館の方法を根底から覆す理念を持っていた。
民博にある展示資料は、現地の文化を知るための入り口である。展示されている物はもともと現地でつくられたり、使われたりしてきたものだ。

















