「産むも・産まぬも」——。作家・山内マリコ氏が見つめた"地方女子のリアル"。子どもを巡る価値観を社会と自分の内側から問い直して

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「2000年代半ばまでは、若者が夢を追いかけることを称揚している時代の空気を感じていました。当時は女子だからといって、夢が制限されるなんて思っていなかった。

ただ、30歳を過ぎてもまだ夢を追っていたのは私だけで、地元在住の同級生は30歳になる前に結婚するのが“普通”。あれほど“普通”が嫌だった私ですら、その“普通”を目指したほど、無言の結婚プレッシャーは大きい。どの道を行ったとしても、女子だけが夢と結婚はトレードオフでしか得られなかったんだという現実に、年を重ねてから気づいた」

結婚したのは34歳だったが、親から急かされたことはない、という山内氏。それでも、先入観は子どもの頃から刷り込まれていた。

「両親が、40代で独身の先生を『どうして結婚してないんだろう』と訝しんでいる様子や、子どものいない夫婦を憐れんだように話しているのを、私はしっかり聞いていて、価値観として取り込んでいました。ある年齢になっても独身でいることや、結婚しても子どもがいないことは、特殊な、“普通じゃないこと”という考えが、知らず知らず植えつけられていました」

山内マリコ氏
(写真:今井康一撮影)

自分の中の先入観やバイアスに気づいた

その影響か、30歳が近づくと強烈な結婚願望に苦しめられた。昔の映画や書籍などで結婚について研究を始め、「これだけ女性を煩悶させる結婚ってなんなのか、突き止めたくて本を読みあさる中で、フェミニズムにたどり着きました。結婚が女性にとってどんなものか理解したうえで、作家になる夢が実現して、自分に経済力がついてから結婚に踏み切りました」と振り返る。

結婚後は、子どもを授かりにくい身体で、自然に任せるうち、自らは「チャイルドフリー」な「消極的子なし」になったと例える。

それでも、「昭和の標準世帯で育っているので、家族は子どもがいて初めて成立するという先入観はあります。自分たち夫婦が“家族”という感覚は薄く、タッグを組んだパートナーと思っています」と自分の中のバイアスにも気づいている。

「子どもを産んで孫の顔を見せてくれたら幸せ、と思っている人が圧倒的に多い」地方の現実。

山内氏は「自分が子どもを持たなかったことで、これまで標準世帯というマジョリティー側に安住して、とても鈍感だったことに気づいた。

小学生の頃、母子家庭の友達がいたんですが、彼女の気持ちを考えずに、私は『父親にどこどこへ連れて行ってもらった』、という話をしていました。そういった会話でその子が悲しい思いをしたこともあったのでは、と今になって思います。

マジョリティーに属していると、マイノリティーへの配慮が雑になるんです。自分がマイノリティーになったことで、かつての自分のグロテスクさにも気づかされました。

子どもの頃から馴染んだ“当たり前”の先入観は、そこに固執するのではなくて取り除いたほうが、ずっと生きやすくなる。地元の当たり前を見直す意味でも、地方に生まれた女性は、チャンスがあれば一度は外に出て客観視したほうがいい」と指摘する。

子どもを持つことについては、「社会的なプレッシャーから『産まなきゃ』と焦るのではなく、自分の内側から出てくるものを信じる」ことをすすめる。その根拠は「婦人科の先生のアドバイスもあって、自分の内側から『子どもが欲しい』気持ちが噴出したら、不妊治療も検討しようと思っていました。でも、その衝動は来なかった」ことと話す。

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