必要なのは「外国人問題」の類型化《労働者・投資家・観光客の3分野で異なる処方箋》"強い外国人"と"弱い外国人"それぞれへの対応
「つまり、排外主義は弱い者いじめだが、自分たちは強い外国人の無謀な行動に反発しているんだと。強い外国人から日本を守らなければ、という心理は『排外主義』というよりも、『攘夷思想』に近い感情ではないでしょうか。黒船来航を機に盛り上がった幕末の攘夷思想です」
ただ、と伊藤教授は続ける。
「であれば、経済安全保障をめぐる外資規制や技術流出の問題、土地の購入規制の議論にとどめればいいはずですが、『強い外国人』批判をしている人の中にも『クルド人排斥』にコミットしている人が相当数含まれます。これは排外主義だと思います」
「排外主義はダメ」という啓蒙的な主張が通じない背景には、そもそも「可哀そうなマイノリティー」に寄り添おうとするリベラル派のスタンスが鼻につく、という面もある。
「なぜならそれは、人権思想や人道主義に基づくもので、経済の論理がほとんど加味されていないからです」(伊藤教授)
背景にある経済的分断
お金のことは抜きにして可哀そうなマイノリティーを助けることが正義だ、というポリコレ的な感覚が肌に合わない人もいる。
「大事なのはお金と生活の話で、自分たちはそのために苦しんでいるのに、それを度外視するのは特権的な立場にあるお花畑にいる人たちの議論だというわけです」(同)
しかしながら外国人排斥は、「生産年齢人口が減っていく日本経済にとってインバウンドや外国人労働者の支えが必要」という経済的合理性とも矛盾する。これには経済的分断が背景にある、と伊藤教授は指摘する。
円安・株高が進んでインフレになっても所得や資産が全く増えず、インバウンドによる経済的恩恵にも無縁な層にとっては、現場労働を担う外国人労働者は競合関係にあるケースも少なくなく、低賃金の外国人労働者が増えることで自分たちの収入も抑制されかねないという切実な脅威や不安がある。
経済界や大手メディア、政治家が「日本経済のため」というとき、「その経済は誰にとっての経済」なのか、それは一部の層の論理ではないのかという疑心と向き合う必要がある、というわけだ。
とはいえ、人権や人道主義の観点から排外的な風潮を問題視するのは否定されることではない。
「人権や人道主義の価値を共有するところから議論を始め、『日本人が経済的に豊かになるにはどうすればいいのか』という論点を一緒に考えていけばいいはずですが、その前段で世論の分断が起きてしまっているのが実情です」(同)

















