内田樹、「僕が天皇に敬意を寄せるわけ」 聞く人にちゃんと伝わる言葉を語っている

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高き屋にのぼりて見れば……。現代日本では何が見える?

「高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」という仁徳天皇の御製が今に伝えられています。庶民の生活が豊かになって、家々から炊飯のけむりが立ち上がっているのを見て、帝がそれを言祝ぐという趣旨の歌です。この歌が久しくわが国で選好されてきたのは、民の生活を気づかい、祝福を贈ることが天皇制の本義であり、それ以外の行政であったり軍事であったりという仕事は天皇の本務ではないということについての広汎な国民的合意があったからだと思います。

「民のかまど」を気づかい、宮殿の修理も着物の新調も思いとどまったことを天皇の威徳としてたたえてきた人々は、その讃辞を通じて、天皇が「領土を拡げたいから兵士になって戦争に行け」とか「偉容を示したいから土木工事に出てこい」とかいうようなことを命じることはありえないはずだ、と無言のうちに訴えていたのだと思います。

明治維新でマッチョな「大元帥」に

天皇の政治的存在感が際立ったのは、日本の歴史の中では例外的です。12世紀の鎌倉時代から19世紀の明治時代まで、歴代天皇は、ほとんど存在感がありません。その700年、安徳天皇から明治天皇までの間、皆さんは何人の名前を挙げられますか?『太平記』の主要登場人物であった後醍醐天皇を除くと、その間、カラフルな事績によって歴史に名を残した天皇はほとんどいません。

戦国末期から江戸時代の天皇たちは総じて宮中奥深くに引き籠もっていました。笛の名手だったとか、歌道に明るかったとか、能書家であったとかいう事績だけはかすかに伝えられていても、歴史の表舞台とは縁がありませんでした。

それが明治になって一変した。欧米列強に伍すために、一神教的イデオロギーと中央集権的統治システムを短期間のうちに設計することが急務となったからです。そのために天皇が利用された。明治維新の革命家たちは明治天皇を京都御所の暗がりから引きずり出して、ナポレオン3世とかウィルヘルム2世のような英雄的人物に仕立て上げようとしたのです。

国策とはいえ、過去に前例のない皇帝タイプへの人物造形を強いられたわけですから、明治天皇のご苦労はたいへんなものだったと思います。

侍従に旧幕臣で剣客として知られた「赤誠の人」山岡鐵舟を登用したのも、明治天皇に「男というのはこういうものだ」というロールモデルを提示することが目的だったからでしょう。それまで天皇が学んできた帝王学のうちに「戦う男」としての自己形成プログラムなんか含まれていませんでした。まわりにいたのは公家さんたちだけですから。それがいきなり山岡鐵舟ですから、明治天皇もずいぶんびっくりされたんじゃないでしょうか。

でも、そうやって祭司であり、美的生活者であった天皇を明治政府は無理やりに「大元帥」に造形した。その無理が敗戦まで70年あまり続いた。そして、戦争が終わって、昭和天皇は「人間宣言」をしたわけですけれど、あれはべつに「市民になります」と宣言したわけじゃない。孝明天皇以前の 「天皇本来の職務に戻ります」という宣言として理解すべきだと思います。

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