内田樹、「僕が天皇に敬意を寄せるわけ」 聞く人にちゃんと伝わる言葉を語っている
戦後70年の戦没者慰霊のため、天皇、皇后両陛下が4月上旬、旧日本兵1万人が全滅した激戦地、パラオのペリリュー島を訪れて献花した、という報道がありました。この旅は、両陛下の安倍批判であり「護憲の旅だった」と書いた週刊誌もあったようです(『サンデー毎日』2015年5月3日号)。そこで、「日本国憲法9条の最後の守護者は天皇とアメリカ合衆国である」という趣旨の発言をたびたびしておられる内田先生の真意をお訊ねしたく質問します。いまの天皇と天皇制について、どう考えておられるのか、あらためて教えてください。
口にするたびに目が潤む
天皇皇后両陛下については個人的に控えめな敬意を寄せております。前に天皇の身近くに仕えている方のお話を伺う機会があったんですけれど、その方が「陛下は……」というたびに、ちょっと涙目になるんです。その方の口ぶりから今上天皇が周囲の人たちから深く敬愛されていることがうかがい知れました。周りの人がその人の名を口にするたびに目が潤むというような人物はめったにはおりません。
前の昭和天皇は人間としての底が知れないところがありました。言っている言葉と心の中で思っていることの間にだいぶ乖離があるように思えました。でも、今上天皇に関しては、言葉のとおりのことが本心だろうと思います。護憲を訴える言葉も、世界平和を願う言葉も、被災地に行って市民へ語りかける言葉も、「決められた台詞」を棒読みしている感じがしません。聞く人の胸にちゃんと伝わる言葉を語っている。官僚の書いた作文を読み上げているだけの首相のコメントとは重みも手触りも違います。
今上天皇は政治とはっきり一線を画した立場にあり、その点では明治天皇以来の「近代天皇制」から離れて、古代以来の天皇の立ち位置に戻っていると思います。
天皇の本務はもともとすぐれて宗教的なものです。天皇の最優先の仕事は祖霊の鎮魂と庶民の生活の安寧のために祈願することだからです。草木国土のすべてに祝福を贈り続けることを専一的にその職務とする「霊的なセンター」がなければ共同体は成り立ちません。そのことを今上天皇はよく理解されていると思います。その点では「ローマ法王」に似た存在なのかも知れない。