内田樹、「僕が天皇に敬意を寄せるわけ」 聞く人にちゃんと伝わる言葉を語っている

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近世までの天皇は別に「現人神」だったわけじゃありません。古くは蘇我氏・藤原氏からそのときどきの権力にコントロールされて、その意に反して廃位されたり、流刑にされた天皇は枚挙にいとまがありません。天皇というのは、政治的にはつねに「弱い」存在でした。「強い天皇」「軍を統帥する大元帥」というイメージは、明治政府が作為的に構築したものです。そのマッチョな天皇像が意に沿わないということは3代の天皇はずっと感じていたんじゃないでしょうか。だから、「人間宣言」で昭和天皇はずいぶんほっとしたんじゃないかと思います。

安倍首相は頭から無視している

内田 樹(うちだ たつる)/1950年生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家、哲学者にして武道家(合気道7段)、そして随筆家。「知的怪物」と本誌スズキ編集長。合気道の道場と寺子屋を兼ねた「凱風館」を神戸で主宰する。11月10日、生まれ育った東京・下丸子の大田区民プラザで区議との公開対談「やっぱりあきらめられない民主主義」が予定されている。ウチダ先生に会えるチャンスです!(撮影:山下亮一)

安倍首相は天皇に対する崇敬の気持ちがまったく感じられないという点において、歴代首相の中でも例外的だと思います。天皇の発言を頭から無視している。天皇が迂回的な表現をとって伝えようとしているメッセージの真意をくむための努力をまったくしていない。安倍首相がわずかに関心を示す宗教行為は靖国神社参拝だけですが、そこはまさに2代にわたって天皇が「招かれても、行かない」ときっぱり拒絶した場所です。逆に安倍首相は何をおいてもそこに行きたがる。靖国神社ひとつをとっても、安倍首相が天皇の真意をくむ気がないということは明らかです。

もう一つ、憲法があります。天皇は憲法については機会があるたびに「憲法を護ること」が自分の責務であると誓言しています。憲法99条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という条文を誠実に履行している。

一方の首相の方は、憲法を尊重する気も擁護する気もない。「みっともない憲法」だから早く廃絶したいと公言し、改憲がむずかしいとなると「安全保障環境の変化に応じて、憲法解釈を変えることは政治家の責務だ」とまで言い出した。

天皇と首相のありようの違いは、彼らのたたずまいをみればわかります。天皇は「日本国民の安寧」を願うという本務を粛々と果たし、首相は「立法府、司法府を形骸化して、独裁体制をつくること」をじたばたと切望している。両者の語る言葉の重さの違い、国民に向かうときの誠実さの違いは、日本人なら誰でもわかると思います。

政治と祭祀を2つに分かち、現実政治の専門家と霊的事業の専門家を分離した「ヒメヒコ制」は古代の列島住民が着想したすばらしい人類学的装置でした。天皇制はその遺制の知恵を今に伝えています。

ですから、天皇と首相のそれぞれが発信するメッセージに大きな隔たりが生じると、僕たち国民は困惑します。どちらの言うことを信じるべきか。でも、困惑していいのだと僕は思います。困惑した国民が政治家に向かって「ちょっと待って」と一言上げるきっかけになるなら、それこそが天皇制の功徳と言うべきでしょう。

(文:内田 樹)

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