クリニック開業3年目に「水害で壊滅状態」になった医師が"学んだこと"――「ポジティブな言葉が人を健康にする」の意味とは

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このとき、私が発した「ありがとう」という言葉は「魂からの言葉」であったと記憶しています。

この経験を通して私は「この地域で、この人たちのために命をかけて頑張ろう」と決意し、「医療を通じて地域全体を元気にする」という自分自身の使命を知ることができました。

そう考えると、あの台風による被害も、私にとっては大切な学びの場であり、あの経験のおかげで大きく成長することができたと、今では感謝の気持ちでいっぱいです。

あとは運を天に任せよう

それから私は、また台風が来た時のために、今度は病院に水が入らないようにする工事を行ないました。

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自分自身の声に従って行なったことですから「やれるだけのことはすべてやった。あとは運を天に任せればなんとかなる」と強い気持ちを持つことができるようになります。

自分自身への言葉がけで、一度は折れそうになった心が、こんなにもまた強くなることを、私は身をもって実感しました。

同時に、天災によって一瞬ですべてが奪われてしまうことへの恐怖も感じました。現在でも地震などで被災して大変な思いで生活されている方がいらっしゃいますが、そうした方々の気持ちに想いを馳せることもできました。

私たちは、どんな出来事も自分の考え方次第で前向きに考えることができます。そして、それが心身の健康の保持に大きく影響を与えます。

だからこそ日々ポジティブな言葉を使い、ポジティブな気持ちで暮らすことを意識したいものです。

そして私は、あの日心に届いた「それでも備えよ」という言葉を一生忘れません。

石内 裕人 医師/石内医院院長

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いしうち ひろと / Hiroto Ishiuchi

昭和36年(1961年)、宮崎県延岡市生まれ。平成2年(1990年)、宮崎医科大学医学部(現・宮崎大学)を卒業後、帝京大学附属病院および武蔵野赤十字病院泌尿器科で、泌尿器科専門医として勤務。地域医療に貢献するため、35歳から研修医として、武蔵野赤十字病院総合内科・皮膚科で学び直す。平成11年(1999年)に延岡へ戻り、共立病院内科勤務を経て、平成13年(2001年)に石内医院を開業。在宅医療にも力を入れ、内科・皮膚科・泌尿器科・漢方内科として地域医療に尽力。平成16年(2004年)より漢方指導医・織部和宏氏に師事し漢方専門医の資格を取得。平成20年(2008年)からは認知症施設グループホームを併設し、認知症の診断・治療にも注力している。

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