商店街も会社も屋上庭園もある「ひとつの街」だ…皇居のすぐ側、地下に"巨大な異空間"がある「生きた名建築」の真相

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新聞に使われる膨大な文字が、かつてはすべて鉛の活字としてここに保管されていた。その重みを支えるため、この床だけ特別に分厚く設計されているという。

専任の職人が、膨大な活字の中から必要な文字を探し出し、活版を組み上げていく……そんな時代が、確かにここにあったのだ。

では、ここで組まれた活版はどこへ行くのか。

今回、2003年に閉鎖となった地下の印刷工場跡を特別に見せてもらった。

全長90m超に及ぶ巨大空間……毎日新聞竹橋工場跡

毎日新聞竹橋工場跡
ここが、かつての毎日新聞竹橋工場跡。地下2〜3階部分が吹き抜けになった広大な空間で、現在は印刷会社・帆風が入っている(筆者撮影)

なんとこのビル、地上9階建に対し、地下は6階建。

新聞が書かれ、編集され、印刷され、出荷されるまで……パレスサイドビルは新聞制作のすべてを担う“母艦”として設計されたのだ。

かつては、1階から地下5階に巨大な印刷工場があった。

間口16.8メートルという大スパンを達成しており、奥行きは90メートル超。この巨大空間は、前編で紹介した共用部を両端に集約する「ダブルコア構造」によって実現したものである。

毎日新聞竹橋工場跡
当時は最先端の印刷設備を上階から見学できるようになっていた。今はオフィスとして使われている(筆者撮影)

竣工時の印刷工場には、世界最先端の超高速輪転機が10台配置されていた。3階で組まれた活版は、諸工程を経て地下3階へと降り、輪転機に取り付けられる鉛版となる。そこで初めて、新聞として刷り上がるのだ。

1時間に15万部印刷可能な超高速輪転機がうなりを上げ、刷り上がった新聞は自動で地下1階の発送場へと運ばれた。

トラックへの積み込み場
ビルの裏側にあるトラックへの積み込み場(筆者撮影)

そして、ここから新聞がトラックへ積み込まれ、東日本各地へと届けられていく。なんと、当時は毎日、ここで刷られた新聞が貨物列車で青森まで運ばれていたという。

その後、印刷のデジタル化とともに各地域に印刷工場が作られるようになり、この地下工場も2003年にその役目を終えた。

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