――プロジェクトの実現が厳しいと思い始めたのはいつですか。
24年春ごろ、米GE製風車の採用が難しくなったことを理解した。そこでやめればいいじゃないかと指摘されるかもしれないが、事業者としてやり遂げるために、(風車メーカーの)独シーメンスやべスタス(デンマーク)にも問い合わせた。採用可能なメーカーが3社しかないのは問題だが、あらゆる手段を模索した。
しかし、風車など主要な部品を変えると、ほかの部品もドミノ倒しのように変える必要が出てくる。そこを調整しながらさまざまな検討を行い、(25年2月の会見で)「ゼロベースで事業を見直す」と言った。
「撤退やむなし」を決断した瞬間
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