高校では、大学について調べる宿題が出た。だが裕也さんはいつまでたっても白紙のままで、提出をボイコット。「もう未来なんて考える気にもなれない」という気持ちが覆っていた。この自己肯定感の低さはしばらく続き、高2になっても払拭することができなかった。
しかし、そんな中でも幼い頃から通っていた公文式の教室は続けていた。
高専を目指したのは、入試のための勉強に嫌気がさしたからだった。学校の成績は、授業を聞くだけで取れてしまう。勉強は好きだが、高校入試や大学入試のために勉強するのが面白くなかった。高専ならば、自分の興味のある分野の勉強がとことんできる。そんな思いで高専を第1志望にしていたのだ。
自分のやりたい勉強をするのは好きな裕也さんに、公文式はフィットしていたのだろう。自分のやりたい単元の教材だけ選び、ひたすら解くことを続けていた。
一方、いつまでも将来の希望を“白紙”のままにすることはできない。3年生への扉が開き始める高校2年生の冬のこと、智香さんは裕也さんに一声かけてみた。
「そろそろ塾に行き出す子もいるけど、裕也はどうする?」、そう尋ねると裕也さんは「行こうかな」と答えたのだった。
自習室の“先生”との雑談で大学に興味
こうして始まった塾探し。通える範囲にあったのは東進ハイスクールと河合塾、秀英予備校の3つだった。
「勉強は自分で進められるから、自習室だけ使いたい」というのが裕也さんの希望。いずれの塾にも自習室はあったのだが、講座を取らずに自習室だけを使うことができる塾は秀英予備校だけだったため、消去法でここに決めた。
自習室といっても、分からないところがあれば教えてくれる先生が常駐していた。それに加えて週に1回、自分の担当の先生に相談できる時間が1時間あった。裕也さんの担当は名古屋大学の院生だった。
裕也さんはこの個別相談の時間、勉強で分からないところを聞くことはほとんどなかった。それよりも、この院生との雑談から得るものが大きかったようだ。大学とはどんな学びができるところなのか、先生は何を面白いと思って大学に進学したのかなどを聞くうちに、徐々に大学へ進学したいという気持ちがわいていった。
そうはいっても「〇〇大学に入りたい!」などという明確な目標はまだ定まらない。しかし、模擬試験では志望校欄に大学名を書かなくてはいけない。
裕也さんが思いついたのは、家から通えて名前を知っている三重大学だった。そこで、ここを第1志望にしてみることに。当初の模試の合格判定はC。これでは合格できないと思ったのか、高2の冬、裕也さんはようやく大学入試のための勉強に本腰を入れた。
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