無報酬で家業の"老舗和菓子屋"に入った3代目女性、「伝統を壊すな」と職人からの猛反発を受けても、経営改革に乗り出した"覚悟"
「私は才能もないし器用でもない。二足の草鞋は無理でした。ただ、家族のためにならがんばれる性分なんです。村井製菓は家族の基盤。家業を立て直すことは、家族を守ること。どちらを選ぶかは、はっきりしてました」
2012年、沙邦莉さんは村井製菓に入社した。25歳だった。

朝から晩まで無報酬で働き、7キロ減
父・克行さんはというと、娘の入社に対し、「働きたいんやったら、好きにしたら?」と代表者としてどこか他人事のような冷めた態度をとった。従業員に対して、娘が入社した事実もその理由も、克行さんから正式に伝達されることはなかった。そのため、職人やパート社員からの沙邦莉さんの印象は決していいものではなかったという。
沙邦莉さんは、この状況をはじめから想定し、自身や従業員が一人前と認めるまでは給料ゼロで働くことを自ら決めた。
「和菓子の知識も経験もない私が、いきなり製造現場に入れば、従業員が両親に対して『給料泥棒だ』と不信感を抱くのは当然だと思いました。だからこそ、報酬さえもらっていなければ、不満を持つことはない。みずから先手を打ちました」

村井製菓は、自社で製造した和菓子を近隣スーパー58店舗(※25年10月現在)に卸す和菓子卸業が主体だ。定番商品は創業時からどら焼き、みたらし団子、田舎まんじゅうなど18種類以上。手で包むあんこ入りの餅であれば1日約1300個、焼き菓子であれば1日約3000個を従業員9人で製造する、大規模な手作業の現場である。
生地を練り、あんこを炊き、団子に串を刺す。さらに、積み重ねた和菓子ケースを運び、すきま時間にはパックのシール貼りや、和菓子の下に敷くカップを1枚1枚置くなど、細かな作業が山積みだ。信用金庫勤務と違い、朝から晩まで長時間の立ち仕事だ。
自分は誰よりも努力をしないと一人前にはなれないーー。沙邦莉さんはそう自覚しているからこそ、1日中無我夢中で働き、一連の製造工程を覚えていった。
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