無報酬で家業の"老舗和菓子屋"に入った3代目女性、「伝統を壊すな」と職人からの猛反発を受けても、経営改革に乗り出した"覚悟"
「家では内弁慶で、家族の前でだけは明るい自分を出せていました。3姉妹の仲は良かったのですが、姉も妹も優秀。私だけ、なにをしても人並みにこなせない。人一倍努力してようやく一人前。『私だけなんでそつなくでけへんのやろ』って、コンプレックスに感じていました」

高校生になると、妹に「バレンタインの友チョコをつくって!」と頼まれたのを機に、お菓子づくりに熱中するようになる。生チョコから始め、リクエストのたびに新しいお菓子を作った。「妹がすごく喜んでくれるのが嬉しくて。おいしくないときは、正直に教えてくれましたけど(笑)」。
思い描いていた夢は「結婚して家庭を持つ」こと
その後大学に進学し、地元の信用金庫に就職する。このまま沙邦莉さんは、夢である「結婚して家庭を持つ」という、ごく一般的な幸せを思い描いていた。
「いま、会社がしんどいねん」
あるとき、母・美保子さんから会社の深刻な経営状況を聞かされる。和菓子の納入先である大手スーパーからの発注が少しずつ減り、卸販売の商習慣が時代の流れとともに変化する中で、売り上げも比例して落ち込んでいった。
当時は祖父と祖母、父が中心となって経営していたが、母・美保子さんによると、時代の波に乗れず、どう手を打てばいいのか誰もわからない状況だったそうだ。家業のピンチに沙邦莉さんは迷うことなく「私が労働力になったらええ。人件費もかからん」と声をあげた。

沙邦莉さんは、日中は信用金庫で働き、17時に終業するとすぐに家業に向かって22時まで働いた。しかし、12月に入り信用金庫も和菓子店も繁忙期を迎えると、さすがに体力の限界を迎える。沙邦莉さんは信用金庫を辞める決意をする。
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