
一方、全国的に「喜多方ラーメン」の名を広めたのは、フランチャイズ展開を成功させた「坂内」である。大量出店と安定した品質管理により、「喜多方ラーメン=あっさり醤油、平打ち熟成多加水麺」というイメージを確立させた功績は大きい。地元では“独り勝ち”とも揶揄されるが、「坂内」の存在がなければ、喜多方ラーメンはここまで広く認知されなかったとも言える。

そんな中、2008年に新風を吹き込んだのが「あじ庵食堂」である。店主の江花秀安さんは、喜多方出身ながら洋食居酒屋で働いていた異色の経歴を持つ。東京で「中華そば 青葉」を食べて衝撃を受け、「喜多方の味はもっとできる」と感じた彼は、香川県の大和麺学校で理論からラーメンを学び直した。
酷評された江花さんを救った「源来軒」元店主の存在
独立後、初めて開いた店のラーメンは「こんなのは喜多方ラーメンじゃない」と酷評された。あまりにも整いすぎたスープは、地元の人々が愛してきた雑味の旨さを失っていたのだ。そんな江花さんに手を差し伸べたのが、「源来軒」の店主の故・星欽二さんだった。
スープの煮込み時間から灰汁取り、タレの調合まで事細かに教え、「お前も仲間だ」と背中を押した。江花さんは後に語る。「『源来軒』があってこそ、私は“喜多方ラーメン”の意味を知りました」。

その後、イベント出店を続ける中で、江花さんは喜多方ラーメンの弱点と強みを同時に見つめることになる。濃厚な旨味を重ねる東京の「足し算」のラーメンが主流となる中、喜多方の「引き算」の味は埋もれてしまう。しかし江花さんは、そこにこそ価値を見出し、豚とシジミの旨味を重ねた「山葵潮ラーメン」や、地元食材をふんだんに使った「SUGOI」といった革新作を世に送り出していった。
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