「子どもを産みたい、医師にもなりたい」結婚・出産・子育てしながら7浪で医学部合格→53歳で医師になった彼女の"学びなおし"の人生

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地元の予備校に通い始めた新開さん。最初の2年はセンター試験で40%、45%と目に見えた数字は残せませんでした。その間、予備校で出会った男性と結婚しましたが、決意は変わらず、医学部を目指しての受験勉強を続けます。

3浪目は河合塾に通いましたが、ここでも成績は伸びず、センター試験では2浪目と同じ45%程度でした。

「医師になりたいという意思は変わりませんでしたが、『自分は勉強ができない』というネガティブな感情が渦巻いていました。実力は着実に伸びていたと思いますが、センター試験のパーセンテージに反映されなかったのは、試験で頭が真っ白になっていたからです。原因は分からないのですが、3浪目くらいから合格する前の年まで、試験が始まると頭が真っ白になるということが続きました」

4浪目は九州の代々木ゼミナールに移って授業を受けたものの、センター試験は50%に少し満たない程度。この年、長女が生まれたこともあり、子育てをしながらの大学受験の継続は大変だったようです。

そこでついに5浪目である決断をしました。センター試験を受けるのをやめ、私立大学だけを受けることにしたのです。

「国立はもう無理だと思ったので諦めました。それがよかったのかはわかりませんが、この年くらいに初めて模試でE以外の判定が取れるようになりました。また、4浪目までは私立大学を1年に1カ所受けてダメだったのですが、5浪目で東邦大学医学部、川崎医科大学、埼玉医科大学を受験し、初めて川崎医科大学、埼玉医科大学の1次試験に合格することができました」

上の子が3歳くらい、2番目の子も妊娠中の浪人時代

5浪目は結果的に2次試験で合格できなかったものの、次の年につながる受験結果になりました。勝負の6浪目では、夫の勤務先である北海道に行き、東進衛星予備校の単科コースをとりながら受験勉強をしていました。

「上の子が3歳くらいでしたし、当時2番目の子も妊娠していたので、子育てで予備校にフルに行ける状況ではありませんでした」

この年は藤田保健衛生大学医学部(現:藤田医科大学)、福岡大学医学部、東邦大学医学部、日本大学医学部を受験するも、またしてもすべて不合格に終わってしまいました。

「1年間勉強を頑張っても、試験になると緊張して頭が真っ白になるのがどうしても乗り越えられませんでした。また、医学部は女性や多浪に厳しい大学もあるのですが、そういう情報がないまま受けていたのも7年かかってしまった大きな理由だと思います」

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