「仕事の日々は楽しかったですが、自分の心理的な悩みがなかなか改善できませんでした。勉強ができなかったというよりも、両親に別にパートナーがいたこととか、自分の居場所がなかったことの方が悩みとして大きかったです。自分でも、自分自身のことがよくわかりませんでした。そう思っていたら、また心理学を学び直したいと思ったので、退職をして1年間、東京の予備校に通いました」
貯めていた貯金を使って東京の予備校に1年間通った新開さんは、真面目に勉強を続け、26歳で島根大学教育学部に入り直すことができました。
両親と向き合い、医師を目指す
島根大学教育学部に入ってからは、臨床心理士になるため勉強し、30歳で卒業しました。一方で、母親が肝臓を悪くしたこともあり、母親がやっていた薬局経営の資格をとって店舗を増やすなど経営をしつつ、精神科でも週1回働いていました。
「当時は、母親が体調を崩したことを機に、自分が幼少期に得られなかった母親の愛情などをもう一度立て直そうという気持ちになっていました」

1店舗の経営を続けていた薬局を2店舗にするなど、経営者として頑張っていた新開さんでしたが、そんな新開さんの人生に大きな影響を与える出来事が起こります。それが、32歳のときに起こった、実の父親の死でした。
「私は父親が亡くなったことを後悔するだけで終わらせず、自分の中で生かさなければならないと思いました。一方で冷静に自分が今後この経験を活かせることは何だろうと考えたとき、精神科で働いたり、心理の勉強をしたりしてきたことから、患者さんを心と身体の両方から直すことができる医師になることだと思ったので、ここで初めて医師を目指そうと思いました」
「生涯をかけて、医学部に行こうと思った」と固い決意のもと、新開さんは32歳から松江市にある松江予備校と、数学の個人塾に通いはじめました。
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