人材輩出の梁山泊だった「日刊まにら新聞」の無念/経営難から詐欺の道具に使われ紙面休刊/天皇も読んだ異色の邦字紙に捧ぐレクイエム

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その後、新聞社を定年退職した私は、野口さんが経営している間、まにら新聞顧問の肩書を与えられ、フィリピンに滞在中は編集会議に出席して紙面に意見を言っていた。たびたび寄稿をしたり、座談会に出席したりもしていた。

野口さんは、まにら新聞を手放した後、毎夕出席していた編集会議に出ることもなくなり、所在なさげで寂しそうだった。次第に元気をなくし、コロナ禍の2020年8月9日、マニラ首都圏パラニャーケ市の自宅で亡くなった。「医者には金輪際世話にならない」という主義を貫いたため、確たる死因は不明だ。74歳だった。

ちょうど須見一派が経営を握った時期と重なり、私は顧問を降りて寄稿もやめた。新経営陣は明らかにブラックに見えたし、野口さんの志を引き継がないまにら新聞に義理もないと感じたからだ。

給料遅配でもニュースを伝える現役の記者たち

新聞の苦境は、まにら新聞に限った話ではないし、邦字紙がゆえでもない。日本の大手も部数を軒並み全盛時の半分以下に減らしている。アメリカでは多くの地方紙が消滅し、残る新聞もネットへの転換に成功したニューヨークタイムズを除けば存亡の危機に瀕している。

名門ワシントンポストは2013年、アマゾンの創始者ジェフ・ベゾス氏に買収された。当初は「編集に介入しない」と話していたが、2024年10月のアメリカ大統領選で同紙は特定候補の推薦をしないと表明した。民主党のハリス副大統領を推薦する社説の準備が進んでいたが、ベゾス氏が止めたとされる。

まにら新聞はと言えば、須見一派は一家言のある編集長らの首切りはしたものの紙面に大きな介入はしなかったもようだ。そもそも報道の中身には関心がなかったのだろう。

長年親しんできた、まにら新聞が詐欺の小道具に使われ、名前を汚されたことは、痛恨の極みである。野口さんも草葉の陰で歯噛みしていることだろう。

社員の給料は現在、遅配にはなっているという。記者や編集スタッフも大幅に減った。取材費も社有車もなくなるなか、それでも現役の記者たちはフィリピンのニュースを届けるため悪戦苦闘を続けている。健闘を祈るばかりだ。

柴田 直治 ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

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しばた・なおじ

ジャーナリスト。元朝日新聞記者(論説副主幹、アジア総局長、マニラ支局長、大阪・東京社会部デスクなどを歴任)、近畿大学教授などを経る。著書に「ルポ フィリピンの民主主義―ピープルパワー革命からの40年」、「バンコク燃ゆ タックシンと『タイ式』民主主義」。

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