朝ドラ【ばけばけ】商売の基本を理解していなかった武士たちの苦難 明治初期に空前の「ウサギブーム」はなぜ起きたのか
ウサギブームは明治4年ごろから始まり、翌年には1羽600円と高値をつけるまでに高騰。当時は1円でコメを30キロ買える時代だったことを踏まえると、いかにウサギに高値がついていたかがわかる。
「ウサギの売買は儲かる」と投機の対象となると、「士族の商法」から始まったウサギの売買は市井にまで広がり、なかには、白いウサギを柿色に染めて儲けようという不届き者まで現れた。ちなみに、白地に黒の斑点の「黒更紗」と呼ばれたウサギたちは、柿色のウサギよりさらに高値で取引されたという。
ブーム終焉のきっかけ
明治6年には、ウサギの売買のトラブルによって殺人事件が起きたり、娘を売ってまでウサギを買おうとする者がいたりと、まさに狂気の様相を呈した。
しかし、実のないブームがいつまでも続くはずがない。過熱するブームを問題視する声を受けて、東京府は明治6年、飼育するウサギ1羽あたり月1円の税金をかけることを決定。それをきっかけに、ウサギの値段は大暴落する。
『新聞雑誌』という新聞は「兎、跳ねすぎて課税さる」という見出しで、課税を報じた。
その後、床の下に隠したウサギも見つかったら罰金というお達しが出るなど、ブームは完全に終わりを迎える。
それ以降、ウサギは一転して邪魔者になり、空き地や土手には、捨てられたウサギたちがぴょんぴょん飛び跳ねる姿があった。それどころか、川に流されたり、殺されたりしたウサギも多くいたという。
「士族の商法」がいかにピントの外れたものだったのか。このウサギブームは、その象徴的な出来事だと言ってよいだろう。
これでは武士の生活は苦しくなるばかりだ。大河ドラマ「ばけばけ」主人公・トキのモデルである小泉セツが養子に出された、稲垣家も例外ではない。セツは学業優秀だったにもかかわらず、11歳で進学を断念せざるをえなかった。
【参考文献】
小泉節子著、小泉八雲記念館監修『思ひ出の記』(ハーベスト出版)
小泉凡著『セツと八雲』(朝日新書)
NHK出版編『ドラマ人物伝 小泉八雲とセツ:「怪談」が結んだ運命のふたり』(NHK出版)
櫻庭由紀子著『ラフカディオハーンが愛した妻 小泉セツの生涯』(内外出版社)
興津要編『明治開化期文学集』(筑摩書房)
鏑木清方著、山田肇編『随筆集 明治の東京』(岩波書店)
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