朝ドラ【ばけばけ】商売の基本を理解していなかった武士たちの苦難 明治初期に空前の「ウサギブーム」はなぜ起きたのか

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

朝臣として新政府に所属したいという者はむしろ少なく、主家とともに駿河へ移住したいと考える者が多くいた。新政府は不人気だったのである。

さりとて、駿府藩の台所事情が厳しいのは、誰の目にも明らか。藩に迷惑をかけるくらいならば、と武士身分を捨てて、帰農や帰商、つまり、農業や商いを始めた者が600人くらいいたと言われている。これが「士族の商法」の先駆けとなる。

商売の基本を理解していなかった武士たちの苦難

旧幕臣たちが始めた商売は、酒屋、米屋、古着屋、小間物屋などさまざまだったが、人気が高かったのが、汁粉屋、団子屋、炭薪屋、古道具屋だった。

「素人鰻」という落語の演目がある。武士が鰻屋を開いて悪戦苦闘する話だが、この武士が鰻屋の前に始めようとしたのが、やはり汁粉屋で、柳家小三治が演じたときは、こんなふうに理由を武士に語らせている。

「何か商売をしようということになってな。それで実は、汁粉屋をやろうということに決まったんだ。奥がな、汁粉の砂糖の灰汁の抜き方くらいは心得ておるしな。それにしまた、汁粉が好きだ。嬢もまた汁粉が好きだ。わしも汁粉が好きだからな」

それじゃあ家中で食っちまうじゃないか、とツッコミが入って笑いになる。落語はもちろんフィクションだが、当時の武士たちも、身近で、手短に始められるものを選んだということだろう。

しかし、当然のことながら、商売は簡単なものではない。ましてや、プライドが高い武士である。まず接客がうまくいかなかった。横柄だったり、そうかと思えば、バカ丁寧だったりと、その不自然さから元武士であることは、話せばすぐにわかってしまったという。

それでも接客の問題だけならば、時間が解決してくれるかもしれないが、致命的なのは、商売の基本を理解していないことだった。

ある旧幕臣は牛込神楽坂辺りで、汁粉屋を始めた。むろん初めての商売だが、これが非常に儲かった。どうしてこんなに儲かるのかと主人が不審に思い、家族会議を開いたところ、餅や米などの原材料の費用を加味していないことに、あとで気づいたりしている。

また「士族の商法」というと、飲食物や物の売買のイメージが強いが、金融業に乗り出した武士もいた。塚原渋柿園という小説家がいるのだが、金貸しを始めた武士の妻から、こんなふうに話しかけられたという。

次ページ武士の妻が言うには…
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事