しかも、朱子学は、道義のみならず、実践的な制度設計も重視していた。本書が強調するように、定信は「囲籾」「七分積金」「人足寄場」など画期的な制度を次々と打ち出して大きな成果を上げたが、その発想の基礎には朱子学があったのである。
定信が緊縮財政によって不況をもたらしたというのも甚だしい誤解で、実際には、地方の農地の開発や商工業の振興を推し進めた。その結果、都市と地方の不均衡の是正のみならず、出生率の上昇や経済成長にも成功した。
評判の悪い倹約令や風俗統制令についても、過剰消費やそれをあおる商業活動を是正するのに必要不可欠な措置であった。興味深いのは、この点に関する大場氏の解釈である。
勤勉と貯蓄を重視するのが日本人の国民性であるかのように言われるが、田沼時代までの日本人は、むしろ「宵越しの銭は持たない」といった調子であった。
それを改め、勤勉や貯蓄を重視する国民性を徐々に形成していったのは、定信の朱子学に基づく「寛政の改革」である。
そして、この定信を尊崇し、自らも儒学を思想的支柱としていたのが、かの渋沢栄一である。また、定信による学問振興によって育った後進たちは、明治以降、特に財界において近代化を担った。大場氏はそういう説を唱えている。「大場史観」と言ってもよい。
朱子学の倫理と日本資本主義の精神
かつて、マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、資本主義の勃興の背景にプロテスタンティズムがあったと論じた。もしかしたら、日本資本主義の精神には、朱子学の倫理があった。そういう仮説を提出してみたくなるほど、本書は刺激的だ。
そんな日本資本主義の精神を破壊し、40年にわたって支配的イデオロギーの座に君臨してきた新自由主義も、今ではその失敗が明らかとなり、もはや失効したと言ってよい。しかしながら、新自由主義に代わるヴィジョンはいまだ示されてはいない。
大場氏が「寛政の改革は終わっておらず、松平定信もまた『未完の名宰相』として、思想的に生き続けている」と語るゆえんである。
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