要するに、田沼の経済政策とは、財政健全化のために、民営化、大企業や大都市の優遇、税や手数料の徴収強化、地方の切り捨てにより、幕府の収入を増やそうとするものであった。その結果、農村の衰退、格差の拡大、地方の人口減少と江戸一極集中が発生し、庶民の貯蓄率は低下した。そして、政治は、側近集団の専横と賄賂の横行によって腐敗した。
このように、田沼の推し進めた路線とは、見れば見るほど、我が国が1980年代以降、40年にわたって推し進めてきた新自由主義路線に酷似していることがわかる。その新自由主義に基づく改革がもたらした結果も、ほぼ同じである。
田沼が高く評価されてきた理由も、これで明らかとなるだろう。そこには、現代人の新自由主義的な思想や価値観が映し出されていたのである。となれば、田沼政治を改めようとした松平定信の評価が低いのも当然であろう。定信の「寛政の改革」とは、言わば、新自由主義からの脱却を図るものだったからだ。
「朱子学への誤解」がもたらす定信の低評価
定信の評価が低い理由は、もう一つある。定信は朱子学の教えを実践しようとしたのだが、現代では、朱子学に対する誤解が著しく、その誤解が定信に対する低評価をもたらしているのである。実は、この点こそ、本書の主題であり、著者の大場一央氏がその本領を発揮しているところである。
今日、朱子学と言えば、封建主義的な階層秩序の固定を正当化する硬直的なイデオロギーとみなされている。しかし、実際の朱子学は、非常に実践的な政治思想であった。
朱子学は、人倫(人間関係)を政治の基礎とみなし、道義や節義に重きを置く。それは前近代的な政治思想であって、社会の仕組みや制度の設計を重視するのが、近代的・科学的な統治のあり方である。このようなイメージが定着している。
だが、前近代の封建政治だけでなく、近代的な自由民主政治もまた、「信頼」を基礎としなければ成り立ちえない。これは、現代の社会科学においてはむしろ常識であり、そして世界中の政治の実際を見ても明らかである。
要するに、人倫や道義の重要性を説く朱子学は、現代でも正しいのだ。
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