松平定信の「寛政の改革」が「新自由主義からの脱却」だったワケ 「財政健全化、民営化、大企業優遇、地方切り捨て」を推進した田沼意次

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かくも困難な人物評価であるが、これが歴史上の人物ともなると、難易度は格段に上がる。歴史上の人物に関する史料には限りがあるうえ、その史料すら、書いた者の思想や価値観が反映されており、正確かどうかわからないからだ。

そのうえ、我々自身も、現在の思想や価値観のレンズを通して、史料を見てしまう。

イギリスの歴史家E・H・カーが『歴史とは何か』の中で言ったように、「現在の眼を通してでなければ、私たちは過去を眺めることも出来ず、過去の理解に成功することも出来ない」のであり、「歴史家は彼自身の時代の人間なのであって、人間存在というものの条件によってその時代に縛りつけられている」のである。

もっとも、カーは、ポストモダニズムのように「歴史の客観的事実など存在しない。すべては主観の産物である」という極端な立場に走ることを厳に戒めている。歴史家の主観と歴史的事実の客観の相互作用、言い換えれば、歴史を「解釈」することこそが、歴史家の作業である。それは、「過去と現在の対話」と言ってもよい。カーはそう説いている。

本当に財政規律派だったのは定信ではなく田沼

歴史を正しく解釈できるか、過去と上手に対話できるか。それを試すうえで格好の材料となるのが、松平定信、そしてそのライバルである田沼意次であろう。

田沼意次については、近年、貨幣経済をよく理解し、商業を重視し、積極財政によって好景気をもたらした経済通であったという再評価がなされている。

他方、松平定信の評価はかんばしくない。田沼による世の乱れを正すべく「寛政の改革」を行ったが、それは倹約令、風俗統制令、出版統制令を出して都市の消費生活を抑制するものであり、また財政再建を優先したので不景気をもたらすこととなった。定信には、そんなイメージがまとわりついている。

ところが、本書を読むとわかるのは、こうした田沼意次や松平定信に対する現代の評価は、彼らの実像ではなく、むしろ我々現代人の思想や価値観の反映だということだ。

例えば、田沼は、徳川吉宗による「享保の改革」の財政健全化路線を積極財政路線へと転換し、経済重視の政策を行ったとされる。しかし、実際の田沼は、吉宗の財政健全化路線を継承し、より厳しい倹約令を出していた。

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