部活が終わってから21時まで学校に残って勉強したり、朝も7時半に登校して勉強したりしてから授業を受ける習慣もできたため、1年生の後半には勉強の成績も真ん中から上くらいにはなったそうです。
精力的に部活と勉強を続けた川﨑さんでしたが、将来の夢や志望大学など定まりませんでした。しかし、高校3年生の夏頃には、東大を受けようと思い立ちます。
「とりあえず理系の方がいいかなと思って高2のときに理系を選んだのですが、何がしたいとかはなかったですね。ただ、高校3年生のとき、高校の図書館にアメリカのプリツカー一族が運営する、ハイアット財団から建築家に授与される『プリツカー賞』についてまとめた図鑑があったのがきっかけで、建築家に興味を持ちました。理系の職業だし、自分の作ったものが地球に残るっていいなと思ったんです。東大出身の有名な建築家もいましたし、高校全体の空気が東大を受ける感じだったので、東大の理科I類を志望することにしました」
東大2次試験の休憩中に早稲田の不合格を知る
しかし、志望校を決めてから、受験に至るまでずっと東大の模試の判定はEから動かなかったそうです。
センター試験では9割近くを取ることができたものの、2次試験では数学で0点を取ってしまいまるで歯が立たず、合格最低点まで100点以上足りない結果に終わりました。
「それまでは、根がポジティブすぎたので、東大はダメでもどこかの大学はいけるだろうと思っていました。東大の2次試験の2日目の午前の科目が終わったあとに、もう東大は確実に無理だと思ったので、滑り止めに受かっていればいいやと思って、昼休憩中にその日合格発表だった早稲田の創造理工学部の結果を見たんです。そうしたら落ちていて、終わったと思いました」
後期で受験した横浜国立大学の都市科学部建築学科も不合格で、浪人が決まった川﨑さん。浪人しようと思った理由を聞くと、「どこも受からなかったから」、「もう1年やれば絶対にどこか受かるはずだと思っていたから」と答えてくれました。
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